PEOPLE

いつからかスポーツが一番になった

スポーツを一番に考える、SPORTS FIRST な想いを持った
ゴールドウイン社員のライフスタイルに迫ります。

なぜ、エンデュランススポーツに心惹かれるのか。
松田丈志 × 鏑木 毅 × 山屋光司(GOLDWIN)

2017.04.28

トレイルランニングのアジア第一人者であり、50歳を目前にしてなお世界の舞台で活躍する鏑木 毅さん。4度の五輪出場、4つのメダルに輝いた水泳競技のオリンピアン松田丈志さん。2人のレジェンドと、ゴールドウインの社員でありながら同時に自社ブランドC3fitのサポートアスリートでもあるトレイルランナーの山屋光司さん。異色の3人による豪華な鼎談が実現。持久系スポーツの魅力に迫ります。

松田 さっそくですけど、個人的に興味があることから聞いてもいいですか? 鏑木さんはレースで標高の高いところへ行くかと思いますが、高地トレーニングのようなものは行うんですか。

鏑木 はい。大きなターゲットレースの前には都内の低酸素トレーニング施設に通って、トレッドミルで追い込みます。

山屋 酸素の薄さはどれくらいなんでしょう。

鏑木 ターゲットレースの標高にもよりますが、富士山山頂よりも高い酸素濃度の設定であることが多いです。

松田 それは凄いですね。僕は年に2~3回、標高2100mにあるアリゾナの屋内プールで高地トレーニングを行っていました。疲労感が違うんですよね。ターンするたびにキツくなる。

鏑木 水泳の選手というのは一日にどれくらい泳ぐものなんですか。

松田 1回5~8kmほどを、午前午後の2回。一番長いときで30km泳ぎました。現役を引退してからは1時間以上連続で泳いでませんけど(笑)_。

山屋 そんなに! 素朴な疑問ですけど、距離のカウントはどうやって?

松田 自分で数えますよ。ペースクロックというものをプールサイドに置いたりもします。プールの中では腕時計を着けないので。同様に心拍計も着けられないので、これまた壁ぎわに置いておいて、泳いだ後にすぐあがって心拍数を測ったり。

鏑木 なるほど。

食を変えると“プリウス”になる

松田 鏑木さんは2016年末に『低糖質&抗酸化ランニングのすすめ』という、アスリート食に関する書籍も出されていますよね。

鏑木 まぁ僕の場合は、そこにこだわらないともう他に伸ばせそうなところがないから(笑)。

山屋 食にこだわるようになったのはいつ頃からですか。

鏑木 30代後半で一回壁にぶつかって、それで食事に目が行きました。基本的には低糖質を心がけ、抗酸化作用のある食材を摂るように意識します。丸一日くらい走り続ける競技なので、脂肪を燃焼してエネルギーに変えられる体にしないとダメ。月並みですが、これは体にいいなと思うものを食べて、そのうえで白米を控えめにする、ということかな。

松田 脂に関しては何か意識していますか。

鏑木 やはり良質なものにこだわっています。不飽和脂肪酸といって、常温では固体にならない脂質、中でもオメガ3と呼ばれるもの。だから肉類はあまり食べなくて、魚が多いかな。慣れてくるとその食事をしないと気持ち悪いというか、たまにジャンキーなものも食べるけれど、具合が悪くなっちゃう。

松田 やっぱり。僕は最初に食事を変えたのが25、6歳のとき。まず食べる順番を変えました。高校生のときはご飯を何杯もお代わりしていたんですよ。白いご飯大好きで、席についたら、おかずより何よりまずご飯。

鏑木 ああ、それ完全に逆ですよね(笑)。

松田 それとドリンク類からの糖分をやめて、糖がほしいときは果物を食べるように。牛乳も大好きだったけれど、コップ一杯で十分かな、と。次に変えたのは3度目だったロンドン五輪のあとです。さらに4年後のリオを目指すにあたり、筋トレしても筋肉がつかない、練習をこなしても本番で思った通りのパフォーマンスに届かないなど、フィジカルの衰えを感じ、何かを変えないといけないなと。そこで鏑木さんと同じで、脂質をうまくエネルギーとして使えるよう魚だったりMCTオイルを摂るようになりました。実感としてパフォーマンスのアベレージが上がったような感覚があります。エンジンのかかりがよくて、滑らかでバテにくい。

鏑木 わかります。若い時のようにスポーツカー並みの排気量とはならないんだけど、ハイブリッドカーになれる。そういうものですよね。

  • _SP39169

世界を目指したターニングポイント

山屋 お二人はそれぞれの世界で目覚ましい結果を残されてます。同じアスリートのはしくれとして、ターニングポイントが何だったかを聞きたいんです。

松田 何度かありましたけれど、まずは初めて参加した2004年のアテネ五輪のとき。メダルが取れず、日本チームの中でメダルを取った人と取れなかった人の違いは何だろうと自分なりに考えました。あとは遡って高校生のとき、当時の世界のトップ選手と一緒にトレーニングする機会があって。彼は非常に強度の高いインターバル練習を取り入れていたんです。そのトレーニングメソッドと、練習にかける姿勢を学びました。

山屋 鏑木さんのターニングポイントは?

鏑木 いっぱいあるけれど……。大きかったのは2007年に初めて参加したUTMBかな。ヨーロッパのモンブラン山塊が舞台の160km級レースで、今ではウルトラトレイルの実質的な世界選手権となっている大会です。自分で言うのもアレだけれど当時国内では敵なしだったのに、優勝したマルコ・オルモという選手に3時間もの大差をつけられた。ゴール後、あまりのダメージにホテルで寝込みながらTVを付けてみると、あるおじいさんのゴールシーンが流れていたんです。最初は時間ギリギリで完走した人なのかな?と思っていたら、実はそのおじいさんこそがマルコ選手で、驚くべきことに当時で59歳だったんです。それから1年間は寝ても覚めてもマルコ選手とUTMBのことを考えていました。

松田 ヨーロッパって、長距離というか、エンデュランス系スポーツへのリスペクトが凄いですよね。自転車ロードレースは大変な盛り上がりですし、水泳では長距離の1500mが人気。

鏑木 スポーツの見方が幅広いですよね。UTMBである意味一番注目されるのが最終ランナーのゴールなんです。最終ランナーということは、誰よりも長時間を耐えに耐えてたどり着いたということ。万雷の拍手で迎えられます。

松田 水泳では年齢カテゴリーごとに競うマスターズの世界があります。そのチャレンジすることの意義や価値は、スポーツの根源としてありますよね。

鏑木 うん。人間、スポーツでチャレンジしているときが一番輝いてますよ。

山屋 分かるような気がします。自分もトレイルランニングにエネルギーを注いでいるときの方が、日常の業務にもモチベーション高く臨めるんです。マラソンブームが叫ばれて久しいですが、そういった側面もあるのではないでしょうか。スポーツに打ち込むと仕事にも好影響ですから。

鏑木 2度目のUTMBで4位に入ったときはまだ役所勤めで、毎晩の帰宅が午前様と多忙を極めた時期でした。でも、トレイルランニングがあったからこそ乗り切れたのだと思います。山屋さんも、会社から自宅までフルマラソンの距離を帰宅ランされたりと、時間をうまく使って結果を出されているんですよね。

松田 それは凄い!

山屋 鏑木さんは現在48歳で、他のスポーツであればまず引退している年齢です。そのモチベーションはどこから湧いてくるんですか。

鏑木 僕の場合、山に行くことは好きなことで、トレーニングとは思っていないんです。松田さんはサーフィンやゴルフが趣味と聞いているけど、きっとそれと一緒。練習というより、遊びの延長で追い込んでいる。そういう対象に出会えて、本当に良かったと思っています。

松田 実は今度、オーシャンスイムをやる予定なんですよ。プールで泳ぐのは正直つまらない。どうせやるならオーシャンスイムがいいなって。鏑木さんも山屋さんも、トラック走るのはつまらないでしょう?

鏑木 まさにトラックが嫌でトレイルランに行きました。あとはそうですね、自分の存在を知ってもらいたいというか、「アイツも歳だから、ダメだよな」という声にあらがいたいという想いはあります。それが性分に合ってるというか、「まだまだ」と言わせたい。あとはさっきの繰り返しになるけど、追い込むという行為がただただ単純に好きなんですよね。

山屋 松田さんは? オリンピックでメダルを取ると、周囲の反応も凄いじゃないですか。それをまた違うフィールドで味わいたいという気持ちはありますか。

松田 そうですね、オリンピックを目指した日々はまさしく全霊をかけたもので、あの厳しさはもうこなせません。戦うフィールドを変える時期がきたなと感じています。鏑木さんが陸上からトレイルに移ったかのように。自分も負けず嫌いなところがあって、認知させたいという思いもありますから、このスポーツを広める役目など、何かできることを模索しています。

個人種目でもチームの力がカギになる

松田 これ、リオのメダルを持ってきました。

鏑木 うわー、すごい重い。想像以上の重量感。

松田 リオのメダルはとくにずっしりしていますね。3つの五輪での4つのメダルはどれも本当に嬉しいものですよ。

山屋 日本の競泳チームは団結力がありますよね。先月出版された『自超力』でも、そのあたりのエピソードを興味深く拝読しました。「応援できる人は、応援される人」というのは、職場や学校などで奮闘している人にも響きそうなエピソードです。

松田 過去には期待されていたのに惨敗したオリンピックもあったんですよ。個人個人でやっていたときは、それで結果が出ているうちはいいけれど、敗れたときに歯止めが利かなかった。自分も最初のアテネ五輪のときは地方出身の一匹狼としてやっていました。でも、先ほどお話したようにメダルには届かなくて。そこで先輩を見てみると、「周りの人からも応援されているような」人がメダルを取っていました。そこでチームであることの大事さに気がつきました。技術面から言っても、周りからの目があってアドバイスを受けられる関係の方が結果を出す確率が上がりますよね。

鏑木 それはいいスパイラルですね。皆仲がいいんですか。

松田 ええ。人間なのでもちろん合う合わないはありますが、ナショナルチームは向いている方向が一緒なので、今もずっとうまく回っていると思います。それが出来ているのが日本水泳界の強みですね。レースでは結局、最後はひとりで泳ぐわけで、孤独というかストレスがあります。その部分の乗り切り方に違いが出るんです。

  • _SP39169

山屋 東京五輪に向けて、元競泳選手としての何かプランはありますか。

松田 今は伝えるということ全般に興味があるんです。いずれは自分の経験を通したうえでの本質を伝えていきたくて、そのためにはまだまだ勉強中の日々。幸いいろんな仕事をいただいていますが、どれも面白くってためになります。いったん競泳の現場に入ると、それ一筋となってしまいますから、今はキャパシティを広げる時期だと考えています。キャパシティと言えば、最後に鏑木さんにお聞きしたいんですけど、ラン以外に何かやる予定はありますか?

鏑木 僕も水泳はやりますよ。それこそ小学生にも抜かれるけれど、違う方向からの刺激を入れるクロストレーニングの感覚です。先日は雪山の中をズボズボと50km、ハイカーすらいない中を走ってきました。この競技はまだ先駆者がおらず、理論も確立されていないので、自分で人体実験している感覚ですね。他にまだ何か成長のキーが隠されているのではと、ロマンを感じるんです。いずれはこのノウハウを後世に伝えたいですね。

  1. 鏑木 毅(かぶらき つよし)
    1968年生まれ。2009年のUTMB世界3位や、全米最高峰のトレイルレース「ウエスタンステイツ100マイル」で準優勝など、世界トップレベルで活躍しつづけるプロトレイルランナー。2016年にチリの大自然を舞台にした「ウルトラフィヨルド 141km」で準優勝した模様はNHKの「神の領域を走る」という番組として放送された。著書も多数で、近著は予防医学研究者の菊地恵観子氏と共著の『低糖質&抗酸化ランニングのすすめ』(実務教育出版)。
  1. 松田丈志(まつだ たけし)
    1984年生まれ。宮崎県延岡市氏出身の元競泳選手で、主な種目はバタフライと自由形。アテネオリンピック・北京オリンピック・ロンドンオリンピック・リオデジャネイロオリンピック日本代表として銀1つ、銅3つのメダルに輝く。2016年の現役引退後はニュースキャスターを務めたり、久世由美子コーチとの共著で『夢を喜びに変える 自超力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版するなど活動は多岐に渡る。
  1. 山屋光司(やまや こうじ)
    1974年生まれ、新潟県出身。ダイエット目的で走りはじめて1年後にトレイルランと出会う。平日は会社員として多忙に過ごし、週末になると山へ通うサラリーマンランナー。UTMF2012 総合6位、UTMF2013 総合8位、Vibram 香港2015 (世界シリーズ戦)総合10位など、数々のエンデュランス系トレイルレースにて上位フィニッシュする実績を持つ。

<プレゼントのお知らせ>
アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で5名様に、記事中で紹介している、鏑木 毅さんの近著『低糖質&抗酸化ランニングのすすめ』(実務教育出版)と、松田丈志さん初の著書『夢を喜びに変える 自超力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を2冊セットにし、5名様にプレゼントします。お申し込みは下記URLよりお願いします。

プレゼント申し込みフォーム
※応募受付期間:5月17日 24:00まで

(写真 古谷勝 / 文 礒村真介)

RECOMMEND POSTS

RELATED SPORTS