
2012年に初開催され、今年で5回目を迎える、日本初のウルトラトレイルレース「UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)」。2500人以上の参加者が、日本が誇る富士山の周囲約160kmを走るこのレース。華やかな表舞台ばかりが取り上げられがちだが、11市町村をまたぐそのレースを主催する側の苦労は計り知れないものがある。プロトレイルランナー、鏑木毅と、ザ・ノース・フェイスの三浦務。「UTMF」の生みの親とも言うべき二人が、「UTMF」の過去と未来について語り合う。もちろん苦労話もたくさんある。けれど、彼らが頻繁に口にする、これからの「UTMF」の姿。それはいちレースという枠組みを飛び越え、日本における、トレイルランカルチャーの未来への示唆に富んでいた。

毎年、真剣勝負になっているUTMFの開催
—今回で5度目のUTMFですが、これまでを振り返ってみて、お2人の率直な感想をお聞きしたいです。
三浦 実は苦労の連続で、夢中で走り続けている感じです。ああ、もう5回なんだ、というあっと言う間だった感覚があります。
鏑木 でも、その一方で、やろうと決心したのは、だいぶ前のことだし、実現するまでにもいろいろと苦労はあったわけです。その頃の事をいま考えると、だいぶ昔という感覚ですね。
—決心したのはいつなんですか?
鏑木 僕の場合は、2007年のUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)に出場した時の、帰りの飛行機で「やろう!」と決心しました。
三浦 そう考えると、もう10年近く携わっているんですもんね。
鏑木 普通のマラソン大会だったら、1回目が一番大変。でも2回目以降は、回を重ねるごとに、ノウハウが蓄積されていって、運営的にはある意味ラクになっていくものですよね。そして、その余剰を使って、なにか新しい試みを組み込んでいける。でも、UTMFの場合は、ぜんぜんそうならない(笑)。1回1回が真剣勝負そのもの。
三浦 つねに、今年も開催できるのか? という不安はついてまわってますよね。毎回、首の皮1枚で繋がっている感じです。

—なにがそんなに障害に?
三浦 不思議ですよね(笑)。まだまだトレイルランというものが、日本において社会的な認知度や理解度が低いというのもあると思うんですけど……。
鏑木 自然の中でやる、ということも、いろんな壁を作ってしまうんですよね。
三浦 まあ、市民権を得られていないということですね。そもそも、UTMFをやろうとした理由のひとつに、もっとトレイルランの認知度を上げたいというものがあるんです。
鏑木 トレイルランが良い形で市民権を得ていくための、ひとつの方法としてUTMFのような大会が必要だと思ったんですよね。
三浦 始めたときの思いとしては、一回目をなんとか実現して、成功させられれば、周辺の理解が進んで、UTMFの成功=トレイルランの市民権獲得という流れになると期待していたんですが、蓋を開けてみると。そうたやすいことではなかった。
鏑木 まだまだトレイルラン自体にも逆風が吹いているところもあるけれど、参加者は増えているし、だいぶカルチャーとして広まってきているとは思います。例えば、ロードでマラソンをしている人も、だいぶトレイルランに興味は持ちはじめているし、そっちから流れてくる人も増えてきました。
三浦 今回で5回目ですからね。だいぶ地元の人の認知度も上がってきたし、行政ふくめ関係者の理解もだいぶ変わって来ているという手応えはありますね。ただ、我々が当初思っていたスピードには達していない。

—理解を得るにあたって、もっとも障害になるものは、なんなのでしょう?
三浦 やはり、環境に対する考え方の相違なども、大きな要因のひとつかなとは思います。
鏑木 環境保護にもいろんな考え方があると思うんですが、僕らとしては、そこで遊ばせてもらうことで、自然環境の大切さを知るというスタンス。
三浦 でも、そこから徹底的に人を排除して護るという考え方もあります。もちろんいろんな考えがあって当然なんですが、その辺の意見の違いが、160kmという長大なレースのフィールドを確保するのを難しくしているという面はあると思います。
鏑木 アウトドアスポーツというのは、なんでもそうなんですけど、まったく自然環境に影響を与えないでやるというのは不可能です。ただ、自然の中で遊ぶからこそ、自然の大切さを認識するということは多々あります。
三浦 ザ・ノース・フェイスが考える環境保護もまさにそうです。より多くの人に自然に親しんでもらうことで、大切さを知り、守ろうという気持ちが生まれてくる。自然を自分のフィールドとして捉えられるから、より大切にするはずなんです。自分の家や庭を掃除するのと一緒ですよ。自分の大切な場所だから、綺麗にしようとする、守ろうとする。保護と利用のバランスですね。いまの日本は利用のほうがかなり欠落していると思います。
鏑木 同じ自然でも、どっちから見るかで、見解は大きく変わりますからね。
日本にUTMBの空気を伝えたい
—たくさんの苦労があるのに続けられる理由はなんですか?
鏑木 一番は国際大会を日本に作りたいという思い。UTMFが出来る前の日本のトレイルランというのは、欧米との接点もないですし、かなりガラパゴス化してしまっていたんですね。だからUTMFで、大会運営のノウハウだったり、いろんなスタンダードを示していきたい。
三浦 現にいろんな大会の主催者が見に来てくれていますし、UTMFからいろんなものを吸収して、どんどんトレイルラン業界が盛り上がっていってくれれば良いなという思いは強いです。
鏑木 あとは、この大会を続けて行く中で、UTMBのような、お祭りにしていきたいです。まだ1トレイルラン大会の域を出ていないので、もっと複合的な、参加しない人、もっと言えば、トレイルランをしない人でも楽しめるようなそんな場所にしたいですね。地元の方々も楽しみにするような、そんな存在。
三浦 もともとそこがスタートですからね。UTMBに2007年に初めて行って、鏑木選手の活躍を通じて、僕らはUTMBそのものに魅了されていったんです。それからトレイルランというスポーツの可能性の大きさも体感したんです。

—大きな可能性とは?
三浦 ひとつの例を挙げるなら、その動員数ですね。UTMBには8000人近い人が参加するんです。そしてそのうちの恐らく半分以上の人は、海外から来ています。その中のほとんどは家族連れで、夏のバケーションを兼ねてやってくる。その動員数たるやものすごいものがあります。シャモニーは世界で最も古い山岳リゾートですから、スキーをはじめ、クライミングなどさまざまな大会が開かれているのですが、その中でも一番人が集まるのがUTMBなんです。
—そうなると経済効果もすごいですね。
三浦 まだUTMBが始まっていない2000年にシャモニーを訪れたことがあるんですけど、その時はトレイランのトの字もなかった。アウトドアショップを訪れて見ても、トレッキングやクライミングの道具ばかりでした。ところが2007年のUTMBでシャモニーのアウトドアショップを訪れてみたら、トレッキングとクライミングを押しのけるようにして、トレイルランのコーナーがドーンとできている。
—では、UTMFがUTMBのような存在になっていけば、その周辺に与える経済効果なんかも期待できるってことですよね?
三浦 僕らはそういう夢を持ってやっています。
鏑木 ロードランと違って、トレイルランは長い時間滞在しますから、そういう宿泊、滞在という面でも経済効果は高いはずなんです。UTMBに行くと、シャモニーはもちろんですけど、それ以外の町の賑わいというのも凄いですから。
三浦 今年もUTMBがやってくる! みたいな感じですごく盛り上がっているし、待ち望んでいる感じも伝わってきます。
鏑木 それは、祭りを待つ気持ちと同じなんじゃないかな。UTMFもそういうスポーツカルチャーになって欲しいですね。
三浦 正直言うと、日本でUTMBのようなレースをやるのは、不可能かな? と思うこともあります。でも、やらなきゃいけない。欧米とはスポーツ文化や自然への考え方が違うから無理だ、と片付けるのは簡単ですが、それでは日本のアウトドアは発展していかないと思うんです。
鏑木 UTMFを通じて、そういう欧米のスポーツや自然への考え方も伝えて行きたいですね。
三浦 箱根駅伝があれだけ多くの人に支持されて、感動を与えることができるんだから、UTMFもそういう存在になれないはずがない! と、思って必死にやってます(笑)。
鏑木 情熱的なのが、僕とか三浦さんといった中心人物だけだったら、ダメかもしれませんが、参加者やその他大勢のボランティアスタッフなど、協力してくれる人が、みんなすごくパッションを持っていますからね。それさえあれば、できないことはないんじゃないかって思います。

—UTMFも、UTMBのようにもっと参加できる人数を増やすのは難しいんですか?
三浦 いまの2500人(UTMFとSTYの合計)という参加者数を現段階でもっと増やすというのは、前述した環境的な理由などで、なかなか難しいんです。
鏑木 やはりそこもトレイルランの理解度が低いなと痛感するポイントです。トレイルランのレースを見たことがない人からすると、ロードレースのように、横並びでたくさんの人が走るイメージなんですよね。でも実際はルール上においてもトレイルから外れることはあり得ないですし、距離が長いから人もバラついてきます。じつは一人っきりで走る時間も長いんですよ。
—今年から、子供やビギナーを対象にした「小さなUTMF」が始まりますよね。2km、3km、10kmクラスの3種目。
三浦 まだまだUTMFへの参加は難しい人でも、その雰囲気を味わってもらいたくて作りました。それによって、その先の夢へと繋がっていってくれたらうれしいですね。
鏑木 UTMBでも子供達を対象にした「ミニUTMB」というのがあって、僕も3歳の娘と一緒に参加したんですが、とても楽しかった。レースだけじゃない、いろんな楽しみ方の幅を広げる小さなイベントはこれからも増やして行きたいと思っています。
三浦 「小さなUTMF」を開催できたということは、今後の大きな転機になるかなとも考えています。というのも、これまでは様々な問題から、毎回コースを変更せざるを得ない状況でした。でも、今回は初めて2大会連続で同じコースを使えることになった。それによって余力が生まれたので、「小さなUTMF」を実現することができました。今後もコース変更なしで開催を続けて行ければ、他にもっと面白いことを仕掛けることができると思っているんです。
鏑木 アイデアは、それこそ無尽蔵にありますからね。
三浦 ひと握りのフィジカルエリートのための大会にはしたくないんです。いたって普通の生活を送っている人の、大いなるチャレンジの場にしたい。
鏑木 だから、最初の一歩を踏み出すための催しも今後は積極的にやっていきたいんです。

大会を作ることが、トレイルを作っていく
三浦 UTMFを開催したことで、富士山を1周できるトレイルが繋がったわけですから、それを大会のためだけに使うんではなくて、ロングトレイルのようにしていけたら良いなとも思っています。
鏑木 そうなれば、ランナーだけではなく、ハイカーも利用できる。子供の遊び場や、ただの散歩道でも良いんです。
三浦 まあ、それもいろいろと難しい問題は山積みですがね(笑)。現状のコースだと、静岡側の約1/3は一般に開放されているエリアではないですから。その原因としては、静岡側に自然の中で遊ばせる観光インフラがないんですね。
鏑木 でも、UTMFを始めた時は、半信半疑だった地元の人たちが、だいぶ応援してくれるようになってきたという感覚はありますね。トレイルランというスポーツは、ある種奇跡のようなもので、こんなに短期間で、ここまで盛り上がったものって他にないと思うんです。それだけ、特別ななにかを持っているスポーツだと思います。
三浦 単純に気持ち良いですよね。しかもきっと、その楽しさや気持ちよさは、走れるレベルに差があったとしても、同じはず。例えばレベルが天と地ほども違う鏑木さんと僕でも、感じているものは、共通していると思うんです。
鏑木 それから、山は変化に富んでいるので、どの山を走るかによって、ぜんぜん変わってきます。もう、20年このスポーツをやっていますが、全然飽きるということがありません。楽しむ余地がありすぎて、夢がウワーっと広がって行くんです。走る、というフィジカルな楽しさだけじゃなくて、アウトドアスポーツが持っている、知らないところを巡る、とか、自分の力で行く、みたいな冒険心をくすぐる要素もある。両方楽しめるのも魅力です。
三浦 とても総合的なスポーツですよ。登山やハイキングのような楽しさもあり、旅という要素もある。そして、それらよりもちょっとだけチャレンジング。自分自身に挑むという感覚を味わえる。

トレイルランニング文化をリードするためのUTMF
—各種行政や環境団体の方々など、様々な方面との調整や説得が必要な中で、UTMFの開催には、が必要だと思いますが、続けるモチベーションはどこから?
三浦 やめるわけにはいかないんです。それは別に意地とかそういう話ではなくて、我々がギブアップしてしまったら、トレイルランというものは、環境を破壊するものなんだというイメージが着いてしまって、その結果、トレイルランは辞めた方が良いという流れになってしまいかねません。
鏑木 参加者の人の想いも強い大会ですからね。ポイントを獲得しなければいけないから、年単位で準備しなければいけない。「いつかはUTMF」と言ってくださる方も多いので、運営が大変だから辞めるという選択肢はありません。ある意味、唯一無二の大会なんです。仮に東京マラソンが無くなっても、それに変わる舞台はありますが、UTMFが無くなってしまったら、それに変わるものは今の日本にはありませんからね。しっかりと繋いでいかないといけないと思ってます。
三浦 UTMFを走ったら人生観が変わる人が多いはずですしね。
鏑木 そう。いちスポーツというよりも、人生における大舞台。
—もしも鏑木さんがUTMFを走るとしたら、どんな風に楽しみたいですか?
三浦 そりゃあ、優勝狙うでしょう笑
鏑木 他のレースだったら、コンペティティブにやりたいなと思いますけど、UTMFの場合は、競技者というよりは、ゆっくり一番最後からスタートして、いろんな参加者の人や、地元の人と触れ合いながら、まるで旅をするかのように楽しみたいですね。
三浦 僕は48時間かけて、これまでのいきさつを思い出したりして、真っ白になっちゃうんだろうなあ(笑)。
- 鏑木毅(かぶらぎ つよし)
1968年生まれ。2009年のUTMB世界3位や、全米最高峰のトレイルレース「ウエスタンステイツ100マイル」で準優勝など、世界トップレベルで活躍しつづけるプロトレイルランナー。2009年のUTMBでの活躍はNHKの「激走モンブラン」で紹介され、日本のトレイルラン普及に大きく貢献した。UTMFでは大会実行委員長を務め、他にも数多くのトレイルレースのプロデュースを手がけている。トレイルラン関連の著書も多数。UTMF開催までの道のりは福田六花氏との共著「富士山1周レースができるまで(ヤマケイ新書)」に詳しい。
- 三浦務(みうら つとむ)
1962年生まれ。学生時代からアウトドアスポーツにのめり込み、シーカヤック、トレッキング、クライミングと、休日のほとんどを屋外で過ごす。外資のアウトドアリテーラーを経て2001年にゴールドウインに入社。アウトドアビジネス歴20年以上という生え抜きのプロモーター。2007年に鏑木選手と訪れたUTMBで、トレイルランの大きな可能性を見いだし、UTMBの姉妹レースとしてUTMFの開催を決意。立ち上げメンバーとして、初開催から現在まで、様々な交渉や運営に携わる。
(写真 玉越信裕 / 文 櫻井卓)