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いつからかスポーツが一番になった

スポーツを一番に考える、SPORTS FIRST な想いを持った
ゴールドウイン社員のライフスタイルに迫ります。

いろいろなドラマに出会える、それがウルトラマラソン
岩瀬友香

2017.10.06

「仕事に、子育てに、スポーツにとせわしない毎日。忙しいけれど人生が楽しくてしょうがないです」

JR、小田急、相鉄の3線が乗り入れる神奈川県・海老名駅は2015年末に大きな再開発が行われた。隣の厚木生まれ・厚木育ちの岩瀬友香さんは、結婚・出産を経て「THE NORTH FACE+ ららぽーと海老名」のオープニングスタッフとして勤務している。趣味は走ること。ランニングや登山、トレイルランニングに親しみ、2017年の7月には記念すべき第一回大会となった『日光100kmウルトラマラソン』に参加した。

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岩瀬さんにとって100kmという距離を走るのは数年ぶり。そのため、『日光100kmウルトラマラソン』を2017年前半のターゲットレースとしていた。5月の野辺山高原ウルトラで71kmを、6月の奥武蔵ウルトラで78kmという距離を走り、備えてはいたが、それ以上の距離にさしかかったときに走りきれるかが不安だった。

『日光100kmウルトラマラソン』は日光の観光名所を巡るコースレイアウトが特徴。まずは「いろは坂」を登る。登りが得意な岩瀬さんは、東照宮、中禅寺湖、日光男体山と続くナイスビューに気持ちが高ぶり、前半は快調に飛ばした。しかしそのままで終われないのがウルトラマラソン。前半のツケが回ったのか、60km過ぎたあたりから足が攣りはじめ、胃がムカムカと気持ち悪くなり、水すら満足に喉を通らないというタフな状況を迎えてしまった。

「そこから先は本当に長かったです。ウルトラマラソンは道中でいろいろなドラマが起きますね。残り10kmを切るまではゴールにたどり着けるかどうか確信が持てませんでした。でもそこからは復活できて、なんとか足も動くようになり、ゴールにたどり着いてそのとき初めて時計を見たら、なんと11時間台の前半。自分でもびっくりの好タイムでした」

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常に何かしらからだを動かしていた

小さい頃からオテンバで、小学校の運動会では一等賞が定位置の、活発な子どもだった。高校生のときに陸上部へと入部。初めは中長距離種目ではなかったものの、マラソンや駅伝を見るのが好きな父からのアドバイスで転向。当時の日本女子マラソン界は岩瀬さんのような小柄なランナーの活躍が目立っていたのだ。いざ中長距離をやってみると、転向後すぐに行われた地元厚木市の1500m走で優勝してしまう。

「長距離走には向いていたのかもしれませんね。ただ、走っていたのは高校まで。栄養士の資格を目指して短大に進学し、同時にダンスへと傾倒していました。エアロビクスやジャズダンスと、とにかくからだを動かすことが好きなんですよね。24歳で結婚して、男の子2人の母親となって家庭に入りましたが、下の子が生まれた直後にはもう、おんぶしながらフラダンスしていましたっけ」

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東京マラソンに当選したその日から、ランナー

再び走り始めたのは『東京マラソン』がきっかけだった。岩瀬さんには、いつかは成し遂げてみたい大きな目標が2つあった。そのひとつが「フルマラソン完走」。そのため東京マラソンの抽選には毎年応募していた。そして運命の2012年大会。追加抽選で当選という幸運がおとずれる。子育てがひと段落していたタイミングで、嬉しい「まさか」だったが、レース当日が3か月後に迫っていた。高校卒業後はまったく走っていなかったため、当選メールが届いたその日のうちに書店へと駆け込み、マラソン関係の本を読み漁った。

「最初は2~3kmも走ればゼイハア喘いでいたのですが、だんだん気持ちよく走れる距離が伸びてきて、走ることがすきなんだと気がつきました」

東京マラソン本番は、東京のど真ん中という凄いコースを走らせてもらえることに感動しながら、5時間と少しでゴール。

「マラソン完走のためのハウツー本を読んだことがある人は頷いていただけると思いますが、たいてい『事前に30km走をしなさい』と書いてあるんですよね。初マラソンを前にしていた当時の私にとって、30kmは未知数の距離。そこで、同じようにマラソンを目指す人同志で行う30km走のイベントへと参加することにしたんです。そのイベントがFacebookで参加募集をしていたので、Facebookを始めることになりました。SNSでのつながりを通じてランニング仲間が増え、走ることにより深くのめり込んでいったんです」

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山でのアクティビティは好奇心を満たしてくれる

岩瀬さんがいつかは成し遂げてみたかったという目標のもう一つが「富士登山」。山好きな祖母と、近くの丹沢大山には子供の頃から登っており、山登りには親しみがあった。富士山には2011年に初登頂する。

「私は常に何か目標を掲げているのが好きで、フルマラソンを完走したら次はサブ4、その次はウルトラマラソン、いやトレイルランと、仲間と情報交換して刺激しあいながら、達成できると次、次!ってなるんですよ。その流れでトレイルランにもハマりました。出会ったときは『これだ』と思いましたね。目の前を通りすぎる景色の素晴らしさ、非日常感。また東京マラソンを完走した2012年から、子どもがある程度大きくなったこともあり、海老名にあるスポーツ専門店で再び働き始めていました。地元では有名なスポーツ用品店だったので、マラソンや登山用品も扱っていて、その流れでアルプスでの本格的な縦走もするようになりました」

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ウルトラマラソンやトレイルのレースでは周りのランナーとコミュニケーションを取りながら走る。もちろん早くゴールしたい、この苦しみから逃れたいと思うこともあるが、その分ゴールしたときの感動もひとしお。その達成感を得るために、トレイルランかマラソンか、月イチペースで何かしらのレースに参加している。

今、人生が楽しくってしょうがない

2015年末、海老名駅前の再開発でららぽーとがオープン。どんなテナントが入るのか気になって調べてみると、機能性の高さとスタイリッシュさとで愛用していたザ・ノース・フェイスの名前があった。ここでも持ち前の好奇心と行動力が発揮され、「ダメ元で応募してみた」ら、縁があって採用となった。ショップでは販売を担当。ランと山がある生活をエンジョイしている生活は今の仕事に直結している。いかにもランナーや登山者といった服装の来店があったら、積極的に声をかけてコミュニケーションを取っている。同僚も、アクティビティに直結する商品を探す来客があればまずは岩瀬さんにつなぐという、あうんの呼吸が出来あがっているとか。

「私は常に目標を立て、挑戦するのが好きな性分と言いますか、スポーツをやっていない人生は想像できません。次の目標は、100マイルレースを完走すること。仕事に、子育てに、スポーツにとせわしない毎日で、家事などは効率よくこなさないと回らない部分もありますが、幸い家族の理解もあって、協力してくれています。だから、忙しいけれど人生が楽しくってしょうがないんですよ。今が一番充実していると思います。この歳でそう実感できているなんて若い頃は思いもよりませんでした。からだを動かすことで常に好奇心を満たしている、この人生に出会えてよかったと心の底から感謝しています」

  1. 岩瀬友香
    1975年、神奈川県生まれ。高校で陸上、短大でダンスと常にスポーツが身近にある生活を送り、24歳で結婚後2児の母となり、子育てがひと段落した2012年より地元のスポーツ専門店で働き始める。2015年より「THE NORTH FACE+ ららぽーと海老名」のオープニングスタッフとして勤務。2013年湘南国際マラソンでサブ4、2015年にトレイルレースSTY完走、2017年は日光100kmウルトラマラソンを11時間22分、女子17位でフィニッシュ。次のターゲットはUTMFへと挑戦すること。

(写真 古谷勝 / 文 磯村真介)

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