
100マイル(約160km)を走破する超長距離のトレイルランニングレースは、国内でも増えてきている。その中でも八ヶ岳東部で行われる〈KOUMI100〉は、その難易度という意味で特別な存在だ。一周35kmのコースを5周(約175km)するというコース設定は、「あの這うような登りを、あの膝に堪える下りをもう一度繰り返すのか」と、次の一周に向かうランナーの心を何度も試してくる。天候が荒れた時には完走率が30%を下回るという数字にもその厳しさはあらわれている。この難関を初100マイルレースに選んだのが、〈The North Face Sphere〉で店舗スタッフとして働く林秀太さんだ。
ランナー全員が主人公に見えた

「割と熱くなりやすい性格なんです。トレイルランニングは仕事に直結することなので、実際に取り組んでいればお客様に伝えられる経験値が全然違う。それもハマった理由にあったかもしれません。リアルな声をお伝えするのが楽しかった」
そこにさらなるスイッチが入ったのは、富士山の周りを一周する100マイルのトレイルランニングレース〈UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)〉を走るランナーを実際に目にしたことがきっかけだった。
「UTMFの会場で〈The North Face〉の物販を行うのですが、そのヘルプのために車で現地に向かっている最中に、レース2日目でぼろぼろになった選手たちが歩いているのが見えたんです。全員が主人公に見えました。その時は自分が165kmを走ろうなんて思えず、遠い存在に感じました」
だが、その記憶を抱えながら観た〈UTMF〉のTVドキュメンタリーで、ランナーが自分の限界に挑戦する姿に改めて胸を打たれた。同じ〈The North Face Sphere〉で働くトレイルランニングの先輩である鵜野貴行店長に相談すると〈KOUMI100〉にエントリーすることを薦められた。
「せっかくトレイルランニングを提案しているお店で働いていることだし、失敗してもいいからやってみようかなと思えました。妻の許可も得ずエントリーしました(笑)」
ひとりで取り組むためのレースプラン
〈KOUMI100〉は周回レースであるため、スタート/ゴール地点を途中で4回通過する。そこにはテントエリアもあり、選手を応援したりサポートするには便利なレースだ。4周目と5周目はペーサーをつけることも認められているため、仲間がいるランナーには心強い環境。けれど林さんはここにひとりで挑もうとしていた。
「トレイルランニングのチームに所属しているわけでもなく、店長の鵜野さんも参加ランナーなんで、ひとりなんですよ。サポートなどはないので、ある程度自分でしっかりプラン立てしないとしんどくなると思います。
レースプランは、1周目は5時間をかけて、イージーに走って15分休む。 2周目は5時間半で走って30分休憩。3周目は6時間かけて30分休む。4周目は、夜だし歩くことも考えて、7時間。最後は気合いで7時間で走ると、32時間15分でゴールできる計算です」

〈KOUMI100〉では駐車場に停めた自分の車をエイドステーションにしてのセルフエイドも可能だ。4回の補給を食糧の重量を気にせず組み立てることができる。ここでも林さんは綿密な計画を立てた。
「バーナーは持っていかないので、ジェルと距離走で食べ慣れているレーズンとナッツが入ったトレイルミックス、そしてグミを常に食べながら。あとはおにぎりを持っていきます。他にもお店で扱っているものを試してみようかなと思っています」
補給にも店舗のものを使い、できるだけお客様とのコミュニケーションに役立てようという林さんの姿勢が伝わってくる。計画は万全だが、ナイトセクションを走るロングレースは初めての林さん、果たしてどんなレースが待っているのだろう。

計画通りのスタート
レース前日、林さんからLINEのメッセージが届いた。
“無事会場に到着し、前日受付完了しました。内心不安もありますが、明日はよろしくお願いいたします”
レース前のインタビューでは、エントリーしてしまえばあとは走るだけで緊張はしません、と話していた林さんの様子とは少し違っていた。
「実は前日エントリーして、宿に着くととても寒くて“こんなに寒いんだぁ”と実感したんです。雨が降る予報でガスが出ていて。夜の経験がなかったので、明日の夜はこれを越えなきゃいけないのか、大丈夫かなという気持ちになりました」
とはいえ、実際にレース直前の会場で合流すると元気な笑顔を見せてくれた。パッキングは周回ごとに着替えられるようにしっかり整理されている。苦しくなった時のお守りはお子さんの写真だ。準備もしっかり整って、まだ辺りも暗い午前5時、レースがスタートした。

まずは14km地点の稲子湯付近で林さんを待ち受ける。午前7時前、想定通りのペースで林さんが姿を現した。
「楽しくなってきました!」とレース前の重圧から解放されて晴れやかな笑顔だ。4時間45分ほどで1周目の35kmを終えてスタート地点に戻ってきたのは午前9時45分前後。順位も77位と想定をやや上回る滑り出しだった。



早く戻れた分、休憩もしっかり取って2周目へと出発した。雲は多いものの穏やかな天候で、レース会場も和やかな雰囲気に包まれている。再び稲子湯付近で迎えるが、ペースはほぼイーブン。まだまだ元気そうだ。コース最高地点(2,100m)から少し下った場所でも「しんどいですよ!」とは言うものの、笑顔が溢れた。

午後3時45分前後に2週目を終えてスタート地点へ。ここまで70km近くを走ったことになる。実は林さんが経験した最長レースは、この夏に行われた〈The 4100D Mountain-Trail IN NOZAWA-ONSEN〉の65kmだから、この時点で彼にとって未知の領域に足を踏み入れていた。コンディションを聞くと腿が痛いと返ってくる。少し苦しそうだ。休憩予定の30分を超えて、45分後の午後4時30分に3周目へと出発していった。2周目の途中から天気予報通りに降り始めた雨は、その雨足を強めていた。
100マイルを走り切る強さ
「もうちょっとゆっくり行ってもよかったのかなと思いました。正直1周目は5時間半でよかった。 そうしたら、もしかしたら2周目はそこまで休まなくてもよかったのかもしれません。体力を残せたんじゃないかと思います」
雨の中、陽も落ちてあたりの闇は深くなっていく。ヘッドライトに照らされるランナーの表情も一様に険しさを増している。寒さに息が白くなる稲子湯のエイドステーションに林さんが現れたのは午後6時30分を過ぎたあたりだった。

「3周目が一番楽しいです!ただライトが暗すぎました(笑)」と、用意した400ルーメンのライトが思いのほか暗かったこと以外は順調で、気持ちが上向いてきているように見えた。スタートした時の重苦しさと一転、頬は紅潮して目は輝いていた。
「取材チームに会った時、“楽しくなっちゃって”みたいなことを言っていたんですけど、実は体はきついのに楽しくなってるのは危ないなとも思っていたんです。これは多分、長くは続かないと思ったんですよ。完走できないかもと思ったのは、その時だったと思います。 そこから徐々に、全部は無理かもという気持ちになっていきました」
そして、この3周目を終えたところで林さんはレースを辞めることを決断した。

「辞めた時は、恐怖心が勝っていたというのが正直な本音です。この体と心の状態で次の周回に出て行っていいのか?って。自己最長距離は伸ばせたし、辞めたけどその瞬間はある程度満足感があったんです。でも、辞めることを決めて、少し休んでから会場に戻ったら、本当にヘロヘロになっても走っている人がたくさんいた。なんで俺は辞めちゃったんだろう、とその時思いました」
初めてのナイトセクションを走り、自身の最長距離を超えて100km以上を走っていた。雨は強く打ちつけ、トレイルは泥だらけで下りは滑り台のようだったという。ただ、3周目を終えて4周目に出発する余力は残っていたそうだ。だからこそ、限界を超えて走り続けるランナーを見て少し悔いが残った。最後に100マイルに初挑戦した林さんに、何か変化はあったかと尋ねてみた。
「月並みなんですけど、強くなるというか。100マイルを完走する方って、踏み込んでると思うんですよ。奥深いなと思いました。そういうチャレンジされる方が、うちの店にはたくさんいらっしゃるんですけど、こういうところに挑んでるんだっていうことがわかった。自分もまた挑戦したいと思っています」

(写真 茂田羽生/ 文 松田正臣)
- 林秀太(はやし・しゅうた)
埼玉県出身。小中高学校とサッカー部に所属。ポジションはボランチで、運動量が多い潰し役だった。両親が体育教師ということもあり、長距離を走ることは幼い頃から好きで、社会人になってからはランニングを継続してフルマラソンも完走。ゴールドウインに入社してからはトレイルランニングにのめり込んでいる。