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いつからかスポーツが一番になった

スポーツを一番に考える、SPORTS FIRST な想いを持った
ゴールドウイン社員のライフスタイルに迫ります。

世界と戦う緊張感や、努力してきた経験を、これからに生かしていきたい。
山元 駿(GOLDWIN)

2017.03.06

父の影響で、物心ついた時にはクロスカントリースキーを滑っていました。

私の父がクロスカントリーの選手だったんです。学校の部活のコーチをやっていた影響もあり、物心ついた時には、すでにクロスカントリーをやっていました。富山県の極楽坂というスキー場が、家から車で5分の所にあって、クロスカントリーだけではなく、普通にゲレンデでのスキーも楽しんでいましたね。ジャンプを始めたきっかけは、学校の校庭の脇に遊び感覚で飛べるような小さいジャンプ台があったんです。今思えば小さいけれど、子どもにとっては丘のような立派なジャンプ台でした。小学2年生になった時に、初めてジャンプ専用の板を履いて、遊びではなくちゃんとしたジャンプ台を飛びました。K点が20mとか25mほどのジャンプ台だったと思います。それをきっかけに、試合に出るようになりました。

持久系のスポーツの中でも、クロカンのツラさはトップクラスではないでしょうか。

クロスカントリーとジャンプの2種目をやるのが「ノルディック複合」となるのですが、小学校の時は複合の試合というのはないんです。中学校に上がってから、はじめて全国大会の種目にノルディック複合があり、それに出場するようになりました。ジャンプとクロカンでは使う筋肉も、その筋肉の質も、全く違うものなんです。
ジャンプの魅力は、とにかくエキサイティングで、優越感を感じられるところにあります。生身の体で空を飛んでいるわけですから、100m、120m飛べたときの気持ちよさは最高です。一方、クロカンは自然の中を駆け抜ける爽快感が魅力です。ただ単に滑り降りるだけでなく、森の中を滑っていく。トレイルランニングや登山の感覚に近いところもあるのですが、スピード感が全然違うんです。でも、その反面、めちゃくちゃツラいです。たぶん、持久系のスポーツの中では、クロカンのツラさはトップクラスではないでしょうか。

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ノルディック複合のワールドカップで20位が、私の最高の成績でした。

私が世界を意識したのは、初めて国際大会に出た高校3年生の時でした。まだ富山にいる頃でしたが、全国大会で優勝して、世界ジュニアという世界大会のメンバーに選抜されて、その中にはソチオリンピックで銀メダルを獲ったあの渡部暁斗選手も入っていました。初めて外国人選手と一緒に競技をしたのですが、世界の壁の厚さを痛感しました。ノルディック複合は、まず先にジャンプを飛んで、そのポイント差を時間差にしてクロスカントリーをスタートするというルールで統一されています。ノルディック複合の選手にとっては、ワールドカップが非常に大きな大会になります。年に20戦ほど各地で開かれるのですが、まずフィンランドで開幕し、毎週末に2戦ずつ行っては会場が変わり、その間に日本に来ることもあります。世界ランキング50位までの選手しか出ることができないので、とにかくその順位をキープしなければならないんです。大学3年生の時に初めて出場したのですが、ものすごい数のお客さんが入っているし、その空気に完全にのまれてしまっていました。ようやく自分も世界で通用するレベルになってきたなと思えたのは、それこそ現役を引退する前の年くらいでしたね。成績は、20位が最高でした。

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ソチオリンピックに、ギリギリで落選。挫折から気持ちを立て直しました。

日本にも、荻原健司さんが活躍していた頃にノルディック複合の黄金時代があったんです。でも、あの頃からはルールも変更になって、ジャンプの比重が低くなったんです。だからジャンプも飛べて、クロカンの走力もないと勝てないんです。中でもオリンピックは、本当に特別な大会です。私も出場を目指していました。ソチオリンピックに選ばれるのは、個人戦も団体戦も4人。そこに団体要員として、あと1人選ばれるという状況でした。ポイントでみると私は当時、日本人でランキング5位でしたので、発表の直前まで、選ばれるかどうかギリギリのところで、食事も喉を通りませんでした。そして、結果は落選。やっぱりショックでしたね。オリンピックを目指して全力を注いできて、届きそうなところだったのに行けなかった。これだけの屈辱や挫折を味わい、人生これ以上は落ちることはないなって思えるようになり、何とかポジティブに気持ちを立て直しました。視野を広く持って、これからの人生の方が長いんだと考え、自分の経験をこれからに生かしていければいいなあと思ったんです。
ゴールドウインには、実はスキー選手として入社させていただいたのではなく、普通に試験を受けて一般社員として入社しました。会社から内定をいただいて初めて自身のスキーの話をさせていただき、競技を続けさせていただいたのです。ソチまでの3年間、会社から受けたサポートには本当に感謝しています。 

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結果を出さなければいけないスポーツから、心から楽しめるスポーツへ。

入社してからはトレイルランニングを始めました。クロカンをやっていた選手にとっては、夏のクロカンですね。2015年にはSTYにも出場しました。80kmの道のりは大変でしたけど、ただただ楽しめた。これまで結果を出さなければと思ってやってきたスポーツを、心から楽しむことができた。ゴルフも始めたんです。年に3~4回は会社の方たちや家族と一緒に楽しんでいます。数年後には地元の富山で冬の国体が開催されるので、楽しみながらノルディック複合に出場してみようかなと考えたりもしています。成績を出さなければいけない、という義務感を持っていた私と違い、ライバルでもあり友人でもある渡部暁斗選手を見ていると、本当にスキーが好きで、ただうまくなりたくてやっているんだなと感じるんです。これからは、そんな気持ちでスポーツと向き合っていければいいなと思っています。そして、自分がスポーツを通して感じてきた、世界と戦う緊張感や、努力してきた経験を、仕事でも発揮していきたいと考えています。

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  1. Shun_Yamamoto_prof
  2.  山元駿(やまもとしゅん)
    1988年富山県富山市出身。2011年ゴールドウイン入社。
    幼少期よりノルディック複合の選手として活動し高校3年の時初めて世界大会に出場。大学時代には日本代表としてワールドカップに出場し各国を転戦。 ゴールドウイン入社後も選手として活動後、ソチ五輪落選を機に引退。
    現在は小売店担当の営業に。

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