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初めての100マイル、〈FUJI〉の頂は高かった
佐藤奈津子

2023.05.26

4月21日から23日にかけて富士山麓を舞台に開催された、国内最大級の規模を誇るウルトラトレイルレース〈ULTRA TRAIL Mt.FUJI 2023(以下、FUJI)〉。4年ぶりに海外選手も参戦した今年は、164.7kmの〈FUJI〉と68.4kmの〈KAI〉、距離の異なる2つのレースが行われ、過去最多となる3400人のランナーが集結した。そんな〈FUJI〉に初参戦した市民ランナーが、〈THE NORTH FACE FLIGHT TOKYO〉スタッフの佐藤奈津子さんだ。佐藤さんは〈FUJI〉をいかに走ったのか。その挑戦を追いかけた。

未体験の160km。スタート前からただただ、圧倒されていた

佐藤さんと〈FUJI〉の出合いは昨年春のこと。佐藤さんが〈THE NORTH FACE FLIGHT TOKYO〉に着任した直後、同じ店舗に勤める山口(兼孝)さんが〈FUJI〉にエントリーし、予想以上のタイムで完走を果たした。そんな山口さんの激走をネット中継で観戦したのである。

「山口さんのゴールの瞬間を中継で目の当たりにし、これまでにないほど感動したんです。これまでロードをメインに走ってきたのですが、私もあのフィニッシュゲートをくぐってみたい、そんな思いでトレイルのレースに参加するようになり、〈FUJI〉のエントリーに必要なポイントをコツコツと貯め、あこがれの舞台に立てることになりました」

これまでに経験したことのあるトレイルレースの最長が約80kmというから、100マイルの行程は異次元だ。同じく出走予定で、すでに〈FUJI〉の完走経験がある同店の潮仁店長からペースや携行品、補給食についてのヒアリングを重ね、プランニングを行った。事前に佐藤さんが課題にあげていたのは、仮眠と後半の山岳パートだ。

「目標タイムは42時間10〜30分。オーバーナイトのレース経験が浅いこともあり、当初は仮眠を考えないスケジュールを立てていたんです。前回の対談で小林さんと“2晩目問題”を話し合ったことをきっかけに、スケジュールを再考。エイドごとに10〜20分の休憩もしくは短めの仮眠をとり、山中湖きららのエイドで1時間ほど、しっかり仮眠をとる行程へブラッシュアップしました」

うまく仮眠をとれたところで、2日目の夜にさしかかるであろう、後半の山岳パートのハードさは変わらない。つまり、忍野のエイドから先、二十曲峠のアップダウンを経て標高1539mの杓子山を登って降る富士吉田までの区間である。オーバートレーニングによる坐骨神経痛を煩ったことからトレーニングボリュームを抑え、腰回りをゆるめるストレッチやピラテスなどを続けながら本番を迎えた。腰回りに爆弾を抱え、後半をいかに走り切るか。

「トレイルランニングを始めたばかりのころに杓子山を登ったことがありますが、100km以上をこなした後にあそこを登り下りするなんて想像もできません(笑)。とにかく急な下りで脚が終わらないよう、慎重に降りて得意なロードに繋げようと思っていました」

〈FUJI〉の恐ろしさを実感した、前半の山岳パート

レース当日。スタート地点の富士山こどもの国で出走準備をしている佐藤さんは、「やっとここに立てた」という高揚感と故障による準備不足という不安から、これまでになくナーバスに。ぱんぱんにふくらんだバックパックには、胃腸が弱い佐藤さんが厳選した携行食が詰め込まれている。

「ジェルだけだと具合が悪くなるので、食感のあるバナナチップスやグミ、ロードの100kmレースで活躍した、直飲みできるチューブをチョコホイップ味と梅肉味の2本を用意。サポートについてくださる方には『重すぎる』と言われましたが、なにをどれだけ持っていけばいいのか、決め切ることができなくて……」

第3ウェーブの佐藤さんは15時に子どもの国を出発し、最初のエイドである富士宮を18時過ぎに通過、そのまま前半のハイライト、天子山地へ。

「ここはむしろ登りが楽しかったです。店舗のお客さまから声をかけていただけ、ランナー同士のコミュニケーションも楽しめました。その次のエイド、麓に差し掛かったのが真夜中近く。麓は、イメトレで鑑賞していた2019年のレース動画でとりわけ印象に残っていた場所なんです。このシーンに山口さんが映り込んでいるんですが、山口さんとこれを鑑賞しながら、『1夜目はとりわけきついんだよ』というリアルなインプレッションを伺えたことを覚えています。『動画で見たあの場所に、いま、自分もいるんだ』って、ひたすら感動していました」

〈FUJI〉の恐ろしさを、佐藤さんが身をもって痛感したのが麓の先、本栖湖周辺のアップダウン。まず、内臓がやられた。やがて腰も痺れ始める。痛み止めを飲んだら、今度は補給がとれなくなった。アップダウンが続くなか、力がまったく湧いてこない…… 。「まだ序盤なのにこんな山が連続するのか」と、この先の行程を考えて絶望的な気分になった。

「精進湖へ至る尾根上にあるパノラマ台は屈指の絶景ポイントなのですが、眺望を見てもなんの感慨もありませんでした。むしろ、『こんなところまで登らせて、また降るのに!』と怒りさえ覚えたほど(笑)。このころには脚も終わりかけていて、道端に座り込むこともありました。顔見知りのランナーが『なんで転がっているんだ!』とゲキを飛ばしてくださって、それがありがたかった」

精進湖のエイドまではどうにかたどり着いたものの、次の富士急ハイランドの関門時刻には間に合いそうもない。ここで無念のリタイア。佐藤さんの挑戦は精進湖で終わった。

走ったからわかるリアルな学びを、次に生かすために

「楽しい」と「苦しい」のどちらをも存分に味わえたという佐藤さんの〈FUJI〉。振り返ってみると、実際にここを走ってみなければ得られなかった学びばかりだった。

「実感したのは装備の軽量化の重要性です。携行品はなるべく軽く、でもヘッドライドは光量の大きいものを。補給食の内容に関しては、内臓がやられた中でも取れた点はよかったけれど、量を絞るべきでした。レインジャケットも、軽量モデルも合わせて用意しておき、当日の天気予報で選べるようにしておけばよかった。

エイドでの過ごし方も今後の課題で、事前に『このエイドで何をする』という綿密なプランニングを立てておくこと、体力の回復に努められるよう、10分程度の仮眠に身体を慣らすことが重要だと感じました。こうしたインプレッションを、自身の経験としてお店にいらっしゃるお客さまにもきちんと伝えていきたいと思っています」

同時に実感したのが、サポーターのありがたみと、現場でのコミュニケーションの大切さ。サポートを活用するには、それなりの経験値が必要なのだ。

「今回初めてレースサポートについていただきました。エイドで待っていただけるだけでありがたいと感じつつ、サポーターの活用方法を私自身が理解できていなかった。それが反省点です。同じサポーターについてもらっている潮店長や五嶋さんとはLINEグループで繋がっていたのですが、彼らは走りながら『冷たいそうめんが食べたい』とか『次のエイドでテーピングを巻いてほしい』というような具体的なリクエストをばんばん入れていたんですね。それに対して自分は、サポーターに何をしてほしいのか伝えきれませんでした。どこか遠慮してしまったところがあったのかもしれません。いざレースで走るとなれば、サポーターには迷惑をかけるもの。そう割り切って全面的に頼ることが大切なんですね」

一方、リタイアした精進湖から先のエイドでは潮店長のサポートの補助を買ってでた。苦しい区間を走っているランナーを支えるという役割に、走るのとは別のやりがいや充足感を感じることができたのもいい経験だ。

「『いまランナーはこんな気持ちで、こんなサポートを必要としているんじゃないか』というランナー目線でのサポートがあれば、エイドでの時間をより快適なものにできるはずです。そんなことを体験できて、次はレースに出るだけではなく、レースを走るランナーをサポートしてみたいとも思いました」

反省点はいくつもあるけれど、「この舞台に立てて良かったという気持ちが大きい」と佐藤さん。何よりも、故障を抱えながらも前に進み続けようという気持ちを強くもてたことに手応えを感じている。

「いつになるかわからないけれど、ぜったいここに戻ってくる。まずはきちんと腰を治し、100km以上のロングレースにも積極的に挑戦して、自分のペースで経験を積み重ねていきたいと思っています」

〈FUJI〉完走という目標を見据えて、長い道のりの第一歩を踏み出したばかりだ。

(写真 古谷勝/ 文 倉石綾子)

  1. 佐藤奈津子(さとう・なつこ)
    1993年、埼玉県生まれ。ランニングショップ勤務を経て、2022年より〈THE NORTH FACE FLIGHT TOKYO〉のスタッフに。学生時代は陸上競技の短距離専門だったが、新卒で入社した前職のランニングショップでの勤務をきっかけに長距離やマラソンを始めた。ロードランニング歴は約7年。フルマラソンの自己ベストは2019年の名古屋ウィメンズマラソンで出した3時間26分。

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