
3年ぶりに開催され、1808人ものランナーを集めた「ウルトラトレイル マウントフジ(以下、UTMF)」。今年の「UTMF」は富士山こどもの国(静岡県富士市)をスタートし、富士急ハイランド(山梨県富士河口湖町、富士吉田市)でフィニッシュという内容で距離157.9km、累積獲得高度6,388m。スピードを求められる林道&ロードパートとテクニカルな山岳パートが含まれ、セクションごとの攻略方法が異なるから総合的な走力を求められるのだ。このレースに初めて挑んだのが〈THE NORTH FACE コクーンシティ コクーン2〉などでエリアマネージャーを務める五嶋淳司さんだ。

「そんなことから、ペースや補給食の摂取内容・タイミングなど、用意周到にプランニングして今回のレースに臨みました。目標は『怪我せずに完走すること』。目標タイムは38時間と設定しました」
大会直前、悪天候への懸念からコース変更が生じ、前半にあった天子山地区間の迂回が決定。レース前半は起伏が少なく走りやすい林道が中心となったが、果たしてそれは吉と出たのか、それとも……。五嶋さんの初めての「UTMF」を振り返る。
直前のコース変更。試走が役に立たなかったレース前半
前半は驚くほど快調なペースで林道を飛ばすことができた。
「前半の難所、天子山地がなくなって挑戦したかった思いと安堵感で複雑でしたが、3月に試走したときとルートが変わってしまいましたから不安はありました。とはいえ、林道中心になったことで予想より速く進むことができた。前半で3時間近く貯金できたことが後半に大いに役立ちました」
ペースがいいおかげで周囲を楽しむ余裕もあり、1日目の夜は「UTMF」らしい風景をたっぷり堪能した。特に印象的だったのは本栖湖から精進湖のあたり。ちょうど明け方にこの区間を通過したら、雲海に包まれる幻想的な風景を目にしたという。続く富士急ハイランドへ至る区間は月明かりに浮かび上がる壮大な富士山を眺めながらのランとなった。
「それがもう、本当に圧倒的で。このレースに出てこの時間に行動していないと見られない景色だなという実感も伴って、忘れられないシーンになりました」
とはいえ、相手は「UTMF」。このまま気分よく走らせてくれるわけがない。実際、五嶋さんもこの後にこのレースの本当の過酷さを体験するのである。


「90kmの富士急ハイランドのエイドまではかなりいいペース。ロードもクロスカントリーのような林間コースも自分のペースで気持ちよく走れ、もしかしたら初回にしてすごいタイムでゴールできるのでは、なんて錯覚してしまうほどでした。一転したのはそこからです」
後半にさしかかる富士急ハイランドから忍野までの20kmは、あの快調さは一体どこへというほど苦しんだ。90km超えという本人にとって未体験の距離と、朝になって気温がぐんぐんあがるなかで遮るもののないロード区間に突入したこと、さまざまな条件が重なったからである。苦しみながらもどうにか忍野のエイドに辿り着き、次のエイドの山中湖きららまではおよそ7km。
「この間に大平山越えがあるのですが、自分の認識のなかで山越えがすっぽり抜け落ちていた。イメージしていなかった分、地味に気持ちを削られました。さらに気温があがるなか、大平山の次に階段の登りが控えていて、これで残りの体力ももっていかれました。後で聞いたら、きららでリタイアした選手が多かったとか」

「すでに100kmを超える距離を走っているのに、ここからさらに杓子山や霜山を擁する山岳区間が40kmも残っている。周りにはゾンビのように立ったまま寝ている人、道端でひっくり返っている人もいる状況で、ウルトラという距離の過酷さを実感しました。ここからがむしろ本番なんだと考えると恐怖心のようなものさえ感じた、そんなパートでした」
終盤の杓子山ではサポーターに勇気づけられた
「同じGOLDWIN社員でUTMFを完走済の村井絢子さんが、『ウルトラはエイド間のたすきをつなぐ“ひとり駅伝”だと思って走っている』と言っていたことを思い出しました。とにかくサポーターが待ってくれているエイドまで走って、そこでもう一人の自分にバトンを渡そう。そんなイメージでエイド間を繋いでいきました」
山岳区間に入る頃には右膝関節と左股関節にダメージを負っていて、脚を引きずって歩くのが精一杯だった。2日目の夜に突入し眠さも限界、脚も動かない。気持ちも体力もギリギリの終盤、救いとなったのがエイドにいるサポーターの存在だった。どんな状態であっても、エイドに着きさえすればサポーターが待っていてくれる。五嶋さんのサポーターは、自身もUTMF完走者であり同郷の商品部・川尻啓介さん。

レース中に力をくれたのはサポーターだけではない。道中での声援、レース前に声をかけてくれた人、すべての応援が力になったと五嶋さん。レースを終えて壮大な旅を振り返るときに思い出すのは、「ひとりじゃないという気持ちが力をくれる」という実感だ。もしかしたらその実感が、「UTMF」の醍醐味なのかもしれない。
満足すぎる結果を生み出したもの
結局、435位でゴール。タイムは32時間36分11秒。想定より5時間も刻むことができた。
「ボロボロではあったけれど大きな怪我もなく、目標だった完走を果たせました。全体の25%以内に入れるタイムだったから、初出場としては大満足。前半のいい流れを中盤まで維持できたことが大きかった。終盤はダメージが大きくて歩いてしまうところもありましたが、あそこで崩れなければもっといけたかもな、という気持ちはあります」


「胃腸はばっちりでエイドのご当地グルメも楽しめましたが、用意した行動食をあまり食べられずジェルがほぼ残ってしまいました。100マイルという距離のなかで摂取しやすい・しにくい行動食が判明したので、これは次のレースに活かせると思っています。
他の参加者が摂っていて気になったのが、さらっと飲めるようかん『ANDO_』とあんこエナジードリンク『「飲む」あんこ。The ANKo』です。あんこが大好物の私にはもってこい、よりパワーにつながりやすい行動食を選んでレース中のパフォーマンスアップにつなげたいですね」
レース後の身体ダメージがかなり大きかったことから、あらためてリカバリーの大切さを学んだ、とも。
「レース中にリカバリー効果のあるジェルやドリンクを取り入れるなどして、ダメージが少しでも軽減されるような補給の取り方を考えてみたいと思っています」
憧れだった「UTMF」を終えて
10年前、第1回の「UTMF」を視察し、このレース独特の雰囲気や選手たちの激走に圧倒された。そういう意味で憧れでもあった「UTMF」にランナーとして参加したことは五嶋さんにとって大きな財産となった。
「10年前はまさかここを走る自分がいるとは夢にも思っていなかったから、いまはただ感無量。走り始めてわずか3年でここまで来られたことにも大きな達成感を感じています。家族にはボロボロの姿を見せてしまいましたが(笑)、やればできるんだというメッセージが自分の子どもたちに伝わっていればうれしい」
大きな夢をクリアして「これで少しはランニング熱が冷めるかと思っていた」というが、そんなことはまったくなかったようだ。5月末には次のレースが控えているといい、それに向けての準備を始めているところだ。
「熱が冷めないのはやっぱり、今年は『UTMF』のシンボルのような天子山地がなくなってしまったからかもしれません。だから次の目標は『UTMF』で天子山地を走ること。これをクリアしたとき、自分がどう感じるのか。いまからそれが楽しみで仕方ありません」

- 五嶋 淳司(ごしま じゅんじ)
1974年生まれ、愛知県出身。学生時代は陸上部やサッカー部に所属、大学でスノーボードに目覚め、卒業後はフライフィッシングなどさまざまなアウトドアアクティビティに親しむ。体を絞ったことからランニングをはじめ、久々に参加した2019年の富山マラソンで3:41を記録。サブ3.5を目標に走り込んでいる。昨年より〈THE NORTH FACE コクーンシティ コクーン2〉でエリアマネージャーを務める。