
カラフルなホールドが壁一面に広がる。1人の男性がその壁を見上げる。彼は〈Goldwin THE NORTH FACE 神田店〉に務める伊藤浩士さんだ。ホールドはテープによって色分けされており、それがルートを示している。指揮者が繊細な音を作るときのように小さく手を動かし、課題の攻略法を考えている。慎重に手足を使い、ルートを攻略した伊藤さんは、マットに飛び降りてくる。課題を攻略した為かホッとした表情だ。


自分のペースで壁と向きあう
フィットネスジムであれば、1人黙々とトレーニングを行うのが普通だ。しかし、クライミングジムの場合は知らない者同士でも、互いにアドバイスをすることが多いと伊藤さんが教えてくれた。
「特にこのジムは開放的かもしれない。いつのまにか話をして、一緒に課題にチャレンジしたり、アドバイスをしますね。下は小学生、上は60代以上の人がいる。バックグラウンドも多様で、医師や税理士、普段は接することがないような人もいます。別に肩書きで接することはない。ありのままの“その人”とクライミングを楽しむ場所です。それに、登れなかった壁を克服したら、うれしいじゃないですか」

スノーボードのオフトレでクライミング
伊藤さんの前職はスイスに本社を置くアウトドアブランドだった。クライミングの経験はなかったが、自社で登攀具を扱うことから、クライミングを始めることにした。4年ほど前のことだ。山とは無縁というわけではなかった。かねてから、伊藤さんはスノーボードを用いて雪山と親しんでいた。バックカントリーに行く際、ごくまれにロープなどの登攀具を使う局面がある。「雪山で役に立つかもしれないな」。クライミングに惹かれたというよりは、道具に慣れる意味合いやスノーボードのオフトレとしてのスタートだった。
都内のジムでクライミングを楽しみ、やがて〈エスカラード クライミングジム〉(西新宿)に落ち着いた。利用者や店長の人柄、それらがつくりだす雰囲気がしっくりきたそうだ。ある時、いつものように壁を楽しんでいると「岩場に行かないか?」と、ジムで言葉を交わす人たちから誘われた。室内のジムでトレーニングを積んでいたものの、自然の岩場を登ることはまったく考えていなかった。しかし、気の置けない仲間たち誘われ、実際に外に行ってみるとジムでの経験が役に立った。急に世界が広がった。


「春から夏はジムで体をつくり、秋から冬の初めまでは外岩、雪が降り始めたらスノーボードをすればいい。クライミングもスノーボードも体幹を使うスポーツです。だから両方に生きてくる。全てがつながりました」と伊藤さんは言う。

「どこを登っているかとか、道具の話をしたり、結構盛り上がっちゃうんですよね。やはりシンパシーを感じます。自分がクライミングでリアルに感じていることをお客様も実際に感じている。お客様からTHE NORTH FACEのギアに対して、ヒントやご指摘をいただくこともあります」
伊藤さんは多様性のある様々な人があつまるサードプレイス的な場所は重要だと言う。
「たとえば職場だと、その『箱の中』だけで完結してしまう気がする。クライミングジムであれば60代から小学生もいる。皆、職業も経験も違う。普段は絶対に接点のない人たちが、同じ場所に集まり、クライミングという好きなことをしている。海外からの旅行者がふらりと立ち寄って、一緒に壁を登ったりする。言葉がわからなくたって仲良くできる。自然と交流関係が広がるし、学びもある。クライミングジムって楽しい時間を過ごすことができるんですよね」
店頭での接客とクライミングジムとの仲間の関係もどこか似ていると伊藤さんは考える。顔なじみのお客様でも実はお名前を知らないこともある。だが、スポーツやアクティビティという共通の趣味でつながりあっている。
好きになってもらいたという気持ち
THE NORTH FACEはビギナーからエキスパートまで、幅広い層に支持されている。伊藤さんはブランドが担う役割を強く感じているそうだ。「THE NORTH FACEは『間違いのないブランド』でありたいんです」と伊藤さんは呟いた。


撮影協力:エスカラード クライミングジム
escalade-climbing.com
(写真 田辺信彦 / 文 井上英樹)
- 伊藤浩士(いとう・ひろし)
秋田県出身。10代からスノーボードをはじめる。スイスのアウトドアブランドに勤務していた頃、クライミングを始める。現在は〈Goldwin THE NORTH FACE 神田店〉で店頭に立つ。春から夏にかけては室内のクライミングジム、冬はスノーボードで雪と親しむ。同僚をクライミングジムに誘うが、振られる日々が続いている。