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世界で最も過酷な山岳レース、TJARに魅せられた46歳の挑戦 池田征寛

2021.08.07

トランス・ジャパン・アルプス・レース、TJARに挑戦する池田征寛さん。5年間情熱を注ぎ続け挑戦権を手に入れた今、何を考えているのか。レースを目前に控えた池田さんにお話を訊いた。

この夏、「世界で最も過酷な山岳レース」が帰ってくる。3年ぶりに開催されるトランス・ジャパン・アルプス・レース−TJARである。その名のとおり、日本海を起点とし、日本の屋根と呼ばれる列島の中心に連なる3,000m峰の山々を越えて、太平洋を目指す山岳縦走大会だ。総距離は415km、累積標高差は約27,000mと言われている。これを一般的な速度で歩こうとすれば、1ヶ月近くかかるかもしれない。それを精鋭達は、わずか8日間の制限時間内に踏破する。

日本が誇る急峻な山岳地帯は、鎖や梯子が這うような岩場、細く切れ落ちた稜線、寒暖差、天候の急変など過酷な環境下で、サポートやエイドステーションもなく、施設での宿泊もできない。踏破に必要なあらゆる装備を背負い、自分の足のみで歩き通す。体力や技術力や判断力などの山岳スキルはもちろんのこと、圧倒的な精神力も要する。出走者は30人に限定され、それらの条件を満たす書類選考や選考会を通過しなければならず、スタート地点に立つまでの方が難しいという人もいるほど狭き門なのである。

そんな山岳レースに今年初めて挑むのが、テック・ラボ R&Dマーケティンググループの池田征寛さんだ。彼が山に出会ったのは40歳の時。トレイルランニング がきっかけだった。

山は人生の縮図、いくつもの辛い困難をを乗り越えていく

「幼い頃から40歳くらいまでサッカーを続けていました。でもチームスポーツの継続は難しく次第にやらなくなり、マラソンを経てトレイルランニングに出会い、上位に入ることに夢中になっていきました。あの頃はトレランレース以外の山の楽しみ方を知らなかったですね」

スピードを追い求め、レースという環境で他人と競い合う日々。そんな時、たまたま参加したローカルレースで運命の出会いがあった。

「トレイルランニングを始めて2年が経ったころ、飴本さんという方が主催する草レースに参加したんです。それまでは正式にレースの形を成した大会にしか出たことがなかったので、自分たちでコースを作って道を繋ぐということに衝撃を受けました。そこに参加していた人達は、週末に様々な山域を駆け回っていて自分の想像力では追いつかないほど自由でした。道は繋がっていて、登山道は無数にある、もっと自由でいいんだ!と気付かせてくれました。そして彼らのバックグラウンドにあったのが、TJARでした」

TJAR完走者達に出会い、話を聞くうちに魅了されていき、数ヶ月後には現地での応援に向かっていた。ゴールする選手達の姿を見て池田さんは決心する。TJARに出る、と。しかしそんな過酷なレースに、普通は「自分も挑戦しよう!」とはならないはずだ。

「これまでずっと、挑戦しがいのあることを探し続けてきました。サッカーを辞めた後、当時勤めていた広告代理店で仕事漬けの毎日でした。“このままの生活で良いのだろうか”と悩み、次の生き方を探りながら海外MBA留学を目指しました。毎日深夜0時まで働いたあとに朝4時まで勉強し、週末も塾に通う生活を2年間続けましたが、英語力を身に付けることに、ものすごく苦戦しました。さらにリーマンショックと重なって断念せざるを得なく、ポッカリ穴が開いてしまった。それからマラソンもトレイルランニングも始めたけれど、2年で一通りのことを経験してしまった。TJARは、そんな時の出会いだったんです。トレラン仲間からは、「TJARは別物」「無理じゃないか」と言われたこともありました。でも困難な目標ほどやり甲斐がある。誰しも、弱い自分を乗り越えたいという気持ちはあると思います。山は人生のよう。いくつもの辛い登りを乗り越えて、充実した気持ちを得られるんです」

想像を遥かに超える一途さや情熱がTJARを目指す人たちに共通している素質のようにも感じる。レースでスピードを競うことから一転、“TJARに出場し完走すること”に情熱を注いだ池田さん。しかし、満を持して参加した2018年の選考会で落選した。

TJARが本当に大切なことは何かを考えるきっかけを与えてくれた

「理由は、ストックシェルターの張り方が不十分だったから。危険な状況下で簡単に倒れるような張り方では命の危険があるからです。準備として “完走できる体力”を中心に考えていたのはすごく甘かった。もし選考会を通過していたら、悪天候などの予期せぬ事態で、誰かに迷惑をかけてでも突っ走ってしまっていたかもしれないし、事故が起きていたかもしれない。落ちるべくして落ちた、そんな結果でしたね」

あのまま調子に乗っていたら、いつか山で命を落としていたかもしれない。ただただTJARに出たいという思いばかりで頭がいっぱいだった。本当に大事なことは何なのか。自己責任の意味を問い、取り組み方も変わったと振り返る。2020年に目標を書き換え、再スタートを切った。

「落選後は、山の様々な状況で自分にどんなことが起きるのか知っていこうと考えました。TJARの試走や縦走はもちろん、自分で練習しているだけでは得られない極限状態となるレース環境にも身を置くために、300kmを超える長距離長時間のレースにも続けて参加しました」

過酷なレースに挑戦してはトラブルをひとつひとつ潰していく。スピードばかりに夢中になっていた頃とは180度変わり、ギアやウエアの選び方も、山への向き合い方もずいぶん変わったと池田さんは語る。

2020年はコロナ禍で延期という判断が下された。2年に1回しか行われないTJAR。多くの挑戦者がそのために2年、あるいはそれ以上の日々を費やし、寝ても覚めてもTJARのことを考えるというほどの情熱を注ぐ。開催されないことの心身のダメージは計り知れない。

「それでも続けられたのは、好きだからですね。TJARを目指すうちに、この山域も行ってみたい、この縦走路も気になる、とありとあらゆる場所を埋めていくのが面白くて。週末に行く旅のことを平日に調べ尽くす準備も楽しい。過程も含めてのTJARですから」

頑張ることがある幸せを噛み締めて、同志と共にゴールを目指したい

2021年、書類選考と選考会を無事に通過した。最終的には抽選会が行われ、運も味方してTJARを目指して5年目で初めて挑戦権を得た。今年はコロナ禍による対策で例年とルールが違う。山小屋での食事や売店利用が全て禁止となった。町でのコンビニやスーパーの利用はできるが、山間部での食料や水を持たなければならず、圧倒的に荷物量が多くて重い。各選手の戦略が気になるところだ。

「当初は7日切りも考えていたものの、今はちゃんと完走することが目標です。頭を働かせて1歩1歩丁寧に進み、毎日その日の目標を達成することの繰り返しですね」

苦しい局面は必ずあるが、5年もかけて叶えた夢、楽しみも大きい。新たな出会いにも期待が膨らむ。皆それぞれたった独りで挑むわけだが、“挑戦者”同志、目指すものは同じだ。

「今年の条件はいつにも増して過酷です。だからこそ、全員がこの条件で完走できたら嬉しいですね。選手同士の接触や助け合いはできませんが、そもそもスタート地点に立つまでの間に、たくさんの人のお世話になって、支えられて助けられてこの挑戦が成り立っているので、そういう意味では『自分一人で成し遂げる』わけではありません。自分だけが良ければいいではなく、それぞれが自分との戦いをしながら、同志と共に頑張れる幸せを噛み締めて挑みたいと思います」

TJAR完走をゴールなどにはしない、次へ進むための通過点として必ず達成してみせる

46歳、会社員。今回のチャレンジを“遅い挑戦”と表現する池田さん。最後に、このレースを通じてどんなことを得たいかを聞いた。

「何歳になっても挑戦できるということが伝われば嬉しいと思っています。それから、自分がそうであったように、人との繋がりが思いがけなく人生の大きな変化のきっかけになることがあります。このようにして記事にしていただくことで、誰かのきっかけや刺激にもなるといいですね」

そして、これはあくまで次への布石だという。

「TJAR完走はゴールではありません。人生の通過点だと思っています。今は会社のある富山に住んでいるのですが、富山の西側の山はトレイルが繋がっていないんです。東側は観光資源として栄えているのに、西側はさっぱり。だから、この山域をもっと多くの人に知ってもらえる活動がしたい。そのためには登山道整備や道標の設置などやることはたくさんあります。TJARの過去完走者のなかには、TJARの経験をもとに大会やセミナーなどを開催し、多くの人々に山や自然の魅力を伝え、実体験してもらうための活動をしている方々がいます。当社のMISSIONは『スポーツを通じて、豊かで健やかな暮らしを実現する』。自分自身も、このMISSIONに貢献したい。そのために、多くの人に山やスポーツを経験してもらえるような機会や場を創りたいと考えています。この過酷なレースの完走が自分自身の山の経験値ややり遂げる力の証明にもなり、周りを動かすきっかけになるかもしれません。だからこそ、踏破して次のやりたいことに進みたいですね」

日本の大きさを感じ、アルプスの高みを感じ、自分の可能性を感じてみよう。これは、スタート地点である富山県魚津市のミラージュランドの石碑に刻まれている言葉である。日本の大自然の中でどんなことを感じ、ゴールの大浜海岸で何を語るのか。誰よりも本人がそれを楽しみにしているようだ。

  1. 池田征寛
    1974年滋賀県生まれ。小学生よりサッカーを始め、40歳まで続ける。その後、マラソンを経てトレイルランニングに出合い、現在はTJAR完走を目指している。

(写真 Sports First Mag / 文 中島英摩)

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