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いつからかスポーツが一番になった

スポーツを一番に考える、SPORTS FIRST な想いを持った
ゴールドウイン社員のライフスタイルに迫ります。

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市民ランナーになったからこそ見えた世界 福山良祐

2018.12.18

NEUTRALWORKS.TOKYOの副店長を務める福山良祐さんは、実業団でプロランナーとして活躍した後、今年2月にゴールドウインへ入社。現在はプロダクトやイベントを通じてランニングとお客様を密につなぐ仕事をしている。

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福山さんが陸上と出会ったのは中学生の頃。幼い頃から陸上一筋、というわけではなく、小学・中学生時代は走ることよりもサッカーに夢中だった。

「中学生に上がった頃はJリーグの全盛期で、当時の夢はJリーガーになることでした。ところが高校に進学する際に、どういうわけか陸上で推薦がきてしまったんです(笑)。どうやら体育の授業で1500m走ったときの様子を体育の先生が見ていたようで。週末も午前中にサッカーの試合を終えると先生が迎えにきていて、『午後は陸上の試合に行くぞ』と無理やり連れて行かれた記憶があります」

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意外にも受け身の形で陸上競技人生が始まると、大学もその延長で半ば強制に進路が決まった。自分の意思に反したスタートだったこともあるが、それ以上に、陸上部のレベルが自分の想像に達していないことにひどく落ち込んだという。

「陸上をやるからには箱根駅伝に出場したいと思っていましたが、1〜3年生の3年間はすべて予選落ち。自分自身も怪我ばかりで、痛め止めを飲んだり座薬を入れたりしながら走ったけど、当然いい結果は出ず。箱根駅伝にも出られないのにここにいる意味はあるのかと、毎日自問自答を繰り返していました。今思えば、監督に対しても反骨心丸出しだったと思います」

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転機が訪れたのは大学4年生のとき。退部の申し出をする福山さんを当時の監督が引き止め、キャプテンに任命した。その時のことを「人生のターニングポイントだった」と振り返る。

「キャプテンになったことを機に、監督の指示を素直に聞くようになったんです。するとまず、怪我をしなくなった。さらに同年の予選会で個人2位になり、そこからは走る大会すべて自己ベストを記録。この時にようやく、自分が理想を追い求めすぎて一人で空回りしていたことに気がつきました。チームメイトともいい関係が築けはじめた頃、箱根駅伝に出場。長い競技生活のなかで、この時ほど陸上が楽しいと思えた瞬間はありませんでした。ようやく陸上に前向きになり、将来日の丸を背負いたいという気持ちが芽生えたのもこの頃です」

大学卒業後は実業団選手として競技に専念。その後、2009年の世界ハーフマラソンで念願の日本代表に選ばれる。その実力を持って、日本のトップランナーが集まる自動車会社の陸上競技部に移籍することになる。

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2012年東日本実業団駅伝4区区間賞、2014年琵琶湖マラソン5位入賞(日本人3位)といった成績をおさめ、2016年に引退を決意する。

「引退してからは、車の製造ラインを経て、部品を輸入する部署に配属されました。突然の英語業務も大変でしたが、それよりも、直接お客様の顔が見えないことにもどかしさを感じてしまったんです。陸上もそうですが、自分はやってきたことが結果につながった瞬間にやりがいを感じるタイプ。直接お客様の声が聞ける仕事をしたいと思ったんです」

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漠然と転職を視野に入れはじめたとき、第二の転機が訪れる。この「SPORTS FIRST MAG」を見つけたことだ。THE NORTH FACEのシューズ開発に携わる木村豪文さんのモノ作りに対する姿勢に感銘を受け、ゴールドウインという会社を調べた。求人がない中自ら採用担当に連絡し、何度も本社に足を運び、NEUTRALWORKS.TOKYOのスタッフとして採用されることになった。

「選手のときはシューズにしろウエアにしろ、提供されたものを身につけていたので品質について考える機会がありませんでした。でも、自分で購入するとなるとやはり素材や機能は気になります。そういう目線で見たときに、ゴールドウインが作る製品の機能性の高さに驚かされました。

同時に、マラソンの畑からきた人が少ないのではという印象を受けたんです。これまで陸上選手として経験してきたことを落とし込めるかもしれないと。そこに可能性を感じました」

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しかしランナーとしての経験を仕事に還元するにせよ、「自分は市民ランナーとしての経験値が少ない」と感じ、働きながらレース出場を目指すことに。そんななか、他のスタッフからランニングの誘いを受ける。ゆっくり20km走り、築地で美味しいご飯を食べるというファンランだ。この時はじめて、選手時代には味わうことのなかった“走る楽しさ”を体感したという。

「選手時代は結果を出さないと評価されない世界だったので、ランニングを楽しむという発想がなかったんです。でも、職場の仲間は楽しむために走る人がほとんど。目指す大会も、走る目的も皆バラバラだけど、走ること自体がコミュニケーションになっている。そんな経験は初めてでした。ランニングに対してのモチベーションは今の方が高いですね。いい意味でプレッシャーから解放されたからこそ、走ることを心から楽しめてる気がします。それは職場の仲間の影響が大きいかもしれません」

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そんな福山さんがはじめて市民ランナーとして出場したフルマラソンは、10月28日に開催された富山マラソン。走り終えた率直な気持ちを訊ねた。

「選手時代と今とでは練習量に雲泥の差がありますが、その中でいかに効率よく走るかをテーマに練習を積んできました。具体的な数値でいうと、月間200kmで2時間40分切りを目標としていて、なんとかそれを達成できたので今はホッとしています」

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「スタート時はつい身体が前へ前へと動いてしまうのですが、それを続けると後半潰れてしまう。これまでやってきた練習と今の自分の状態を照らし合わせて、プラン通りにペースを刻むことが大切だと思いました。きつかったのは36kmぐらいから。足の力がもたなかった。でも、次の課題が見えてよかったです」

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「今回、スタートの位置取りも、スタート時間までのタイムマネジメントも初めての経験で、あらためて市民ランナーの凄さを思い知らされました。応援の声がよく聞こえたり、風景を眺められたり、周囲の人と会話をしながら走ったりと、楽しさを見出せたのもよかった。ランニングの楽しみ方は市民ランナー目線、プロダクトの選び方はプロ目線になること。これは仕事にも還元できそうです」

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  1. 福山良祐
    1980年生まれ。千葉県出身。中学生から陸上をはじめ、陸上推薦で中央学院大学へ進学。大学4年生のときに箱根駅伝2区に出場する。卒業後は小森コーポレーション、JALグランドサービス、Hondaの実業団で選手として活躍。現在はNEUTRALWORKS.TOKYOの副店長として勤務。フルマラソンの自己ベストは2時間10分59秒(2013年びわ湖毎日マラソン)

    (写真 茂田羽生 / 文 黒澤祐美)

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