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いつからかスポーツが一番になった

スポーツを一番に考える、SPORTS FIRST な想いを持った
ゴールドウイン社員のライフスタイルに迫ります。

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時が経ち、また家族が自分をスキーへ導いてくれているのかもしれません。
小野塚 学(GOLDWIN)

2017.01.05

新潟県の豪雪地帯で生まれ育った私は、3歳からスキーを始めました。

私は新潟県の松之山という豪雪地帯で生まれ育ちました。湯沢と妙高の中間で、小学生の頃は校庭に6mほどの積雪があり、車で5分くらいでゲレンデに行けましたし、授業でもスキーがあったので、子どもの頃から自然とスキーをやるようになりました。初めてスキーをしたのは3歳の時だったと聞いています。始めた時から怖さは感じず、楽しさが先行していましたね。
小学生から本格的に滑るようになって、すぐに大会にも出るようになりました。小学校3年生くらいから、種目は大回転でしたね。基本的には最初は大回転から始めるんです。小学校の高学年になって大回転と回転をやるようになり、中学生や高校生になってスーパー大回転もやるようになっていきます。

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ケガに始まりケガに終わった競技生活。その事実を乗り越えてきました。

滑降(ダウンヒル)になると時速100km以上で滑り降り、ジャンプをすれば100m以上を飛ぶような競技になってきます。でも日本では、標高差も含めてそういう設定のスキー場は少ないですね。当然、回転・大回転・スーパー大回転・滑降の順でスピードは上がっていきます。
自分が経験ある競技の中でいえば、一番スピードが出るのはスーパー大回転でした。イメージとしては陸上競技で例えると400mを走っているような感じでしょうか。
ジャンプも、練習の中でも40~50mくらいは飛びますよ。ですから、私自身もケガの連続でしたね。小学校6年生の時には頸骨の複雑骨折で1カ月の入院、中学校3年生では腓骨腱脱臼、大学4年生の時には骨盤にヒビが入るというような、ケガに始まりケガに終わった競技生活でした。ケガをする度に思い通りにならない悔しさや歯がゆさを感じ、悔し涙をたくさん流しました。そして、その事実を自分自身で受けとめることに時間をかけながら、それをひとつずつ乗り越えてきたつもりです。
競技では日本全国で13位くらいまで行ったのが最高の成績でした。当時、新潟県で私の2つ下に皆川賢太郎選手がいましたし、同じ歳で藤井守之選手がいましたね。

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0.01秒で勝敗が決まる。転倒で終わることもある。それがスキーです。

スキー競技の魅力をあらためて考えてみると、スタートからゴールまで誰が一番速いかを競う、とてもシンプルな競技であることだと思います。勝敗が、0.01秒差で決まる。そして一瞬のミスが転倒につながって終わってしまう場合もある。でもそのスリリングさが、たまりません。1年間練習を重ねてきても、そこで転んでしまったら、もうそのシーズンは終わってしまうこともあるんですよね。
確か高校3年生の時だったと思いますが、はじめてヨーロッパに合宿に行ったときに、一流の技術コーチとフィジカルコーチを招いて練習をするのですが、衝撃的なくらい練習の仕方やフィジカルの管理の仕方が違いました。
ある日、隣のコースで、ずっと憧れだったマーク・ジラルデリ選手や世界のトップ選手たちが練習をしているのを見て、もちろんうれしかったのですが、その反面、体つきや滑るスピードの凄さに圧倒されてしまいました。滑り終えてから、今度はウエイトルームで300kgくらいのバーベルをガンガン上げているんです。いや、これはもう勝てないなあと。もっと早い時期に世界のトップを見ることができていたら、スキー競技に対する意識も全然違うものになっていたかもしれません。ですから、ゴールドウインが「ナスターレース」に協賛して子どもたちの育成の場を作っていることなどは、世界が身近になるという意味で、本当にいいことだと思います。

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いろいろな人と出会い、素晴らしい仲間ができたことが財産になっています。

自分が競技者だったときのゴールドウインのスキーウエアは、とにかくカッコよく見えました。今はそのゴールドウインで働いている。つながっていたのかもしれませんね。
自分が中学生くらいの時には、スキーは人気スポーツでした。その後で、ゲレンデにスキーヤーが極端に少なくなった時代などもありましたが、最近はまた少しずつ増えてきているように思えます。競技から離れて、スキーの魅力を考えてみると、やはり誰も滑走していない真っ白なゲレンデで、自分が感じるままにシュプールを描き、雪面や風を感じながら滑ることが楽しいですね。
今、またスキーをやりたいと自分から思えるようになってきたんです。自分の3人の子どもたち、都会育ちの妻(笑)、家族全員で、一緒に滑ったり雪遊びがしたい。雪景色がキレイだとか、雪が冷たいこととか、雪は柔らかくもあるし硬いところもあるとか、伝えてあげたいんです。自分はスキー競技で世界で活躍したいという目標を持っていましたが、ケガなどもあり思うような成績は残せませんでした。けれど、ひとつのことを最後までやり抜くことの大切さを学びました。そして、いろいろな場所へ行き、いろいろな人と出会い、素晴らしい仲間ができたことが財産になっていると思います。仲間はもちろん、私が好きなことを最後まで応援してくれた両親と祖父母にも感謝しています。だから、自分も子どもと一緒にスキーを楽しみたいと思っているのです。時が経ち、また家族が自分をスキーへ導いてくれているのかもしれませんね。

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仕事でも常に前進する心を持って、軸とフォームを大切にしていきたいです。

ずっとスキーをやっていたことで仕事においても求道者の心といいますか、常に前進する心、進化する心が大切だと思っています。そして、軸とフォームの大切さも仕事に通じると感じています。スキーはフォームが重要で、軸がしっかりと確保できている人は速くて上手い。ビジネスでも、ベースにしっかりとした軸があることを意識して、自分のフォームを大切にしたいですね。
競技を続けていると、いい時もあれば悪い時もある。ケガをして思い通りにいかない時もありますが、必ずひらめきというか、ブレイクスルーする時があるんです。そして今までできなかったことが急にできるようになる。そのひらめきが大きければ大きいほど、一気にジャンプアップできるんです。そのためには普段から、しっかりと自分がやるべきことを続けていなければならないんですよね。
今後は、自分の仕事として、ブランドの軸となるような商品を開発していきたいですね。

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  2.  小野塚 学(おのづか まなぶ)
    1975年9月27日生まれ。 新潟県松之山出身。
    3歳に初めてスキーを経験。1993年3月安塚松之山高校卒業後、同年4月順天堂大学スポーツ健康科学部入学。小学校、中学校、高校、大学とアルペンスキー競技部に所属し最高学年時はそれぞれ主将も経験。
    現在はエレッセ事業部で、テニスシューズやウォーキングシューズなどのフットウエアの企画を担当している。

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