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食欲を満たすことが、安全への一番の近道なんです。
写真家・セール・ロンダーネ山地地学調査隊 阿部 幹雄×本 武史(GOLDWIN)

2016.03.14

日本の南極観測史上初の試みとなったオールテント生活での研究チーム、セール・ロンダーネ山地地学調査隊(2007年〜2010年)に最年長隊員として参加した写真家・ビデオジャーナリストの阿部幹雄さん。フィールドアシスタントとして阿部さんが請け負う究極の任務は、「一人もケガをさせず、一人も失わないで帰国する」こと。孤立無援の極地において、人はどう行動し、なにを食べ、なにを思うのか。自身も社会人山岳会に所属し、UTMF(※)ではレスキュー班を率いるザ・ノース・フェイスの本 武史がその貴重な体験を伺った。

(写真提供:阿部幹雄)

日本の南極観測史上、例のないプロジェクト

阿部 今日は南極で採取した隕石を2つ持ってきました。これはコンドライト隕石といって、もっとも原始的な隕石です。年代は46億年前、溶けている表面から大気圏に突入して焼けたことがわかります。これは火星隕石、素手で触ってはいけないからビニールに入っています。

本 どうしてビニールに?

阿部 地球外生命体が付着している可能性があるからです。もし私が触ると、宇宙から来たものなのか、地球上でついたものなのか、わからなくなってしまいますよね。これまでも南極観測隊が採取した隕石のうち2個からアミノ酸が検出されていて、これにもアミノ酸が付着している可能性があるから、分析が終わるまで触ってはいけないのです。きっとこの店内にあるどの商品よりも高いですよ(笑)。火星隕石は15kgで30億円くらいしますから。

本 30億円!

阿部 これはゴールドマナイトと言ってダイヤモンドより高い宝石です。こういった宝石類が出ると、岩石ができた時の温度、圧力がわかるから、地球誕生の起源を探る一つの指標として分析に使えるのです。私が参加したセール・ロンダーネ山地地学調査隊は、こうした地質学の研究を通して、今の地球の始原となったゴンドワナ超大陸の誕生と分裂の謎を解き明かすために結成されました。

南極大陸で地質調査をする調査隊の隊員。(写真提供:阿部幹雄)

本 今までの日本の南極観測では例のないプロジェクトだったとか。

阿部 日本の南極観測史上初めて、隊員と物資を飛行機で輸送して、基地には滞在ぜずに3ヶ月間テントで生活しました。しかも雪上車もなくて、スノーモービルで移動しました。セール・ロンダーネ山地は昭和基地から650kmも離れているし、そこにあるあすか基地は、6mもの雪に埋もれてしまっていて、使える基地が存在しなかったんです。

本 そういう方法を取るほかなかったわけですね。

阿部 はい、2007年から2010年にかけて3年連続で行きましたけど、あんなに大変な生活はなかった。

本 想像もつかないのですが、どんな生活になるのですか。1日2日ならともかく、3ヶ月も氷点下のテントで過ごすなんて……。

阿部 いやいや、慣れますよ。3年目になると、私はほとんどキャンプでは半袖で過ごしていました(笑)。人間は非常に順応しやすいので、例えば南極に着いた時はみんな寒い寒いといってコートを着込んで震えているけれど、最後は半袖になって帰っていく。周りにいる他の国の隊員は暖房の効いた基地で過ごしているので、寒さに慣れない。我々だけ野外で生活しているから平気なんです。今でも-30度までだったら半袖で過ごせますね(笑)。

業界の常識を覆す、おいしい食事への挑戦

阿部 南極の前にも、ヒマラヤやシベリアなど様々な極地へ遠征したのですが、2ヶ月3ヶ月となると、必ずと言っていいほど人間関係にトラブルが起こります。まず食べ物が原因になりますね。

本 ああ、わかります!

阿部 食べたいものが食べられないとか、量が少ないとかあれがないとか、食べ物って必ず喧嘩の原因になるんですよ。南極でのテント生活はヒマラヤより過酷なところもあるので、本当に美味しいものを食べさせないと、ストレスがたまって人間関係がこじれ、チームワークが壊れると思ったんです。しかも、すべての物資を飛行機で運ぶので、食料の軽量化は必須です。そこで目をつけたのがフリーズドライ食料でした。ただ、カップ麺の具材では、薄くて細切れなので、なかなか食欲は満たされない。そこで、食材が大きくて厚みのあるもの、普段家庭で食べている料理をそのままフリーズドライ化したいと、日本エフディ社というメーカーに相談しに行ったのです。

本 どうでしたか?

阿部 阿部さんの作りたいものは業界の非常識なので作れませんと言われました(笑)。

本 それは技術的にもコスト的にもっていうことですか?

阿部 すべてにおいてですね。フリーズドライ業界では、3分で戻って食べられるようにするというのが常識でしたから。でも当時の副社長である松田政和さんがニヤッとして、「阿部さん、面白そうだね。南極観測隊に協力しよう。」と言ってくれて、そこから開発が始まったんです。腕のいい料理人にお願いして、ほたてのトマト煮、海鮮チリソース、ステーキ、肉じゃがなど、最初の年に32種類、2年目に128種類のおかずを作ってフリーズドライにしました。野菜だったら10秒、肉も30秒くらいで戻ります。今では南極観測隊だけでなく、国際宇宙ステーションに長期滞在する宇宙飛行士の食事にもなっています。そして、「極食」として製品化し、一般にも販売しています。

本 ぼくも山で食べました。一番びっくりしたのは、今まで食べていたフリーズドライって、どうしても肉っぽくないという感じだったのですが、「極食」は本当に肉の食感なんですよね。山の荷物は軽いに越したことはないし、軽ければ量を持っていけるので、その意味では山で食べるものが一気に変わりました。ぼく、登頂後のご褒美的にリッチなものを持っていくのですけど、それが今、「極食」なんです。

阿部 自分は今、北海道に暮らしているのですが、食材にはこだわり、北海道産の魚介類や肉で、なおかつ私の知っている漁師たちが獲るものを使うようにしています。フリーズドライはビタミン、ミネラルもそのまま保存され、食材のおいしさが損なわれず、元通りによみがえる。元通りによみがえるということは、使っている食材がおいしくなければ、おいしい食事には戻らない。料理人の腕も大事です。料理人の腕がよくて本当においしい食材で作ったら、おいしいフリーズドライになる。「極食」では南極で越冬したフレンチと和食の「南極料理人」にレシピを作ってもらいました。

本 テント生活のような密閉された空間だと、会話もだんだん減ってきて、唯一の楽しみが食事になりますよね。だからそこが満たされないと、ちょっとしたことでイライラする。ぼくは何ヶ月もテント生活を送ったことはなく、たかだか1、2週間ですが、実感としてわかります。

阿部 食べ物が人間の精神に及ぼす影響っていうのは、みなさんが思っている以上に大きく、人間の欲の根源は食欲なんです。南極で3年間テント生活してわかったのは、物欲や名誉欲なんていうのは、持っていたって仕方ないし、性欲は望んでもどうしようもない。そうすると最後に残るのが食欲です。欲が満たされないと人間はストレスを感じる。だから食欲を満たすことが精神を安定させる一番の近道なんです。

究極の任務は一人もケガをさせずに、一人も失わないで日本に帰ってくること

阿部 フィールドアシスタントは、装備、食料、安全管理など研究者をサポートするのが仕事なのですが、究極の任務は一人もケガをさせずに、一人も失わないで日本に帰ってくるということです。テント生活の経験のない研究者もいる中で、全員を無事に連れて帰る。そのためにどうすればいいかということを寒さの中で考えに考え抜き、できる限りの装備を用意して、救助訓練を重ねましたが、それには限界があるんですね。訓練をいくらやったところで時間も限られるし、装備の予算も限界がある。そんな状況で本当に誰にもケガをさせず、誰も失わないようにしようと思ったら、おいしいものを食べさせるんです。そうすると、みんな笑顔になる。笑顔がこぼれていたら集中力は途切れないし、人間関係も円滑になる。「極食」のおもしろいところは、食べる前からみんなが写真を撮って盛り上がるのです。

阿部氏の提供する食事を前につい笑顔になる隊員たち(写真提供:阿部幹雄)

本 たしかに、そうなりますよね。このズワイガニのテリーヌなんて、食べる前に絶対写真に撮りたくなります。

阿部 そうすると、ただ食べるだけじゃなくて話題を提供し、和やかな時間を作ることになります。献立も20日サイクルだから、「また同じメニューかよっ!」ていうことがなくなり、新鮮な気持ちで食事が楽しめる。家の飯より美味いっていう隊員が何人もいました(笑)。

本 極地にいるけれども、なるべく普段の生活に近い状態にもっていけるということなのですかね。普通の登山をしている人にも、「極食」は嬉しいですよね。

阿部 さっき、本さんがおっしゃったように、自分へのご褒美というか、山だからこそ普段食べないくらいおいしいものを食べる。そうやって山を楽しんで欲しいんです。日本人は今までなんでも我慢しろと言ってきました。山だから我慢しろ、災害時だから我慢しろと。でも山だからこそ贅沢する、災害の時だからこそ、おいしいものを食べる。そうすると精神的にものすごくいい影響を与えるはずなんです。

本 災害用の非常食で極食を食べたとしたら、すごいエネルギーになって、がんばる気持ちになれますね。食事が大事というのは、僕も認識はしていて、UTMF(※)のレスキュー班でも食事はしっかりとるようにしていました。いいものを食べれば明日への活力にもなりますし、すべてのフィールド活動における根源は、食にあるんじゃないかと。そこはすごく共感します。

阿部 一方で私が心がけていたのは、隊員たちに死ぬかもしれないということを覚悟させることでした。例えば救急救命のトレーニングをするときにも、かなりの医療機器を持っていくけれど、そこで大怪我をしたら絶対助けることはできない。だから最悪の場合は死にますよ、ということを意識させると、安全な行動をとるようになる。死を覚悟して立ち向かう。それから生き残ったものが一生後悔しないように、完璧な装備を揃え、完璧なトレーニングをしておく。とにかく仲間を失って一生後悔させない。それがフィールドアシスタントの使命としてやってきたことです。

(※)UTMFとは、「ULTRA-TRAIL Mt. FUJI (ウルトラトレイル・マウントフジ)」の略称で、富士山麓(約170km)を46時間の制限時間内に1周する、国内最大級のトレイルランニングレースのこと。

  1. 阿部幹雄(あべ みきお)
    1953年生まれ。愛媛県松山市生まれ。写真家、ビデオジャーナリスト。幼い頃からヒマラヤ、北極、南極という3つの極地を探検することを夢見て北海道大学に入学、ひたすら登山の経験を積んで写真家になる。28歳でヒマラヤの登山隊に参加するも、8人の仲間を失う滑落事故に遭遇。死を覚悟したが、かろうじて生還を果たす。以後、遭難から24年に渡り、遺体の捜索収容活動を行い、仲間を弔う。現在はジャーナリストの仕事の傍ら、雪崩の科学的知識や救助法の啓蒙活動、山岳遭難の救助に関する社会貢献活動に従事。第49〜51次日本南極地域観測隊の隊員として南極のセール・ロンダーネ山地地学調査隊に参加。装備、食料、安全管理を担当し、研究者を支えた。
  1. 本 武史(もと たけし)
    1973年生まれ。小学校から大学まではサッカー部に所属。大学に入ってすぐ登山を始め、冬山、クライミング、アルパイン、沢登りなどフィールド全般を楽しむ。現在は社会人山岳会に所属し、ザ・ノース・フェイスでは直営店プロモーションのほか、スタッフのフィールド研修を担当。UTMF(※)では、山地エリアの救護班の取りまとめ役として、リタイア者の保護等に携わる。昨年登山ガイドの資格を取得した。

(写真 依田純子 / 文 小矢島一江)

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※応募受付期間:4月10日 24:00まで

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